夢は逆夢
暗い 暗い

自身の手も足も体も、目線の先も立っている下も見上げる上も

真っ暗な中で


眩しいほどの赤が、じわじわ と…


見えない足に、ぬるり と濡れた。
夢は逆夢
ハッ とした。

耳元では時計の秒針と車の走行音、クラクション、人の声、声、声。


元就は、べとり と体を濡らす汗に眉を顰めながら、ゆっくりと体を起こした。



恐ろしいほどのリアリティを持った夢は、人の強い願望の元に現れるとどこかで聞いた事がある。

あの時確かに触れた足の指先に触れ、それから汗ばんだ掌を握って開いてを数度繰り返した。



「悪夢だな」



まさか夢にまで現れてくるなど、図々しい以外のなんであろう。


元就は大きく舌打って、ベッドから降りる。

ハンガーに掛かった大きなコートを羽織って、小棚からキーを取り出して家を出た。





夜を夜と感じさせないネオンの街のど真ん中。

そうして赴いてしまった高層マンション。


高い場所はあれほど嫌だと言ったのに、眺めが良いなぁ などとのんびり呟いていた日をフと思い出した。


勝手知ったる暗証番号を入力し、自動ドアをくぐる。


十何階あるエレベーターが最上階からゆっくりと下りてくる。

途中で止まり、またゆっくりと。


それが元就を酷く苛立たせる。


元就は、ガリ と指の爪を噛んで、下りてくるエレベーターを待った。

待ったが、そう数十秒も落ち着いていられないらしい自分にいっそ嘲笑して、元就は脇にあった階段へと体を動かした。


タンタン と響く階段の隙間から、たった今自分が上ってきた下が見える。

ひゅう と冷たい風がどこからともなく吹いて、冷え切った元就の体に鳥肌を立たせた。



「…っどうして私がこのような事を…!」



このような事をしなくてはならないのか、しているのだろうか

夢に危惧しているのだろうか

危惧しなくてはならない存在だというのか



「ハッ、馬鹿馬鹿しい」



どうせ夢だ、夢でないところで自分はどうもしない。

元就は心中呟いて、けれど足早に階段を上っていく。


上りながら考える。

まずチャイムを鳴らしてたっぷり間を置いてから眠そうに出てきたならば、思い切り殴って、それから…


それから……



「とりあえず殴る」



「長曾我部」と長ったらしいネームプレートのあるドアに立つ。

息切れしているところなど見られては何を言われるか分からないと、元就は大きく深呼吸を繰り返す。


そうして寒さのせいだと言い聞かせ、震える指をインターフォンへと伸ばした。



ピーンポーン…



何とも間抜けな音がして、10秒、…20秒…………50秒…


ピーンポーン…


ヒュウ と吹く風に押されるように、もう一度鳴らす。


だが、待てども待てども出てこない。

ノブを握り、力任せに引いて、それから押して……動かない。



「…ッ」



そうして鮮明なまでのフラッシュバック。


赤、赤、赤。


大きな体躯が無様に地に伏していた。

そこを赤が広がっていく。



ひた と己の足元まで侵食する。


赤が、赤が、赤が。



「―――っヤ、ツ が…死ぬわけないだろう…」



ポツ と漏らした言葉に、ハッ とする。



『ナッチャンは俺がいねぇとダメだもんなァ?ンな心配すんなよ、勝手に消えたりしねえよ』



以前、誰もそんな心配していないのにそんな言葉を言われた、気がする。


そう、ヤツは言ったのだ。

消えたりしないと。

勝手に、了承もなく、自分の前から消えないと。



「だったら、…」



そこでまた、薄っすらと何かが、…



『あー、明日な。おう、夜通しは付き合えねぇぜ、ああ…じゃあな』

『……』

『…ん?…ああ、友達だよ、オトコの。飲みに誘われただけだ』

『別に聞いていない』

『そうだな、俺が勝手に言っただけだよ』



昨日の晩、そうだ、珍しく焦げたハンバーグを食わされてる最中の電話だった。

無理して口に運んでいるというのに、人の気も構わずヤツは電話をしていた。



「…で、かけた、のではないか…」



思い出すと不意に肩の力が抜け、自然に安堵の息が零れた。

それから、ハッ として安堵などではないと心の中で首を振る。


今日は出掛けると、飲みに行くと言われたじゃないか。

じゃあいなくて当然だろう。


元就はそう頷いた。

けれど頷いただけに終わった。


足が動かなかった。



「…折角来てやったんだ、顔ぐらい、見せてやる」



誰に言い訳するでもなく、ポツリ と零してドアを背に、ストン と腰を下ろす。

寒々しい夜空には、一つ、二つ、星がか細く光っていた。





それからどのぐらい経ったろうか。

不意に温かさを感じて、元就は重い瞼を開けた。



「………」



まず眩しさに、それから自分の上に置かれた重たい腕に、隣で静かな寝息を立てる裸同然の男に、元就は思い切り顔を歪めた。


よくよく見回せば見知った一室。

夜を過ごし、朝を明かし、昼を共にする部屋だった。


いつ戻ってきたのだろう、イヤ、それよりも自分は寝てしまったのだろうか。


……

じんじん と感覚が戻り、温かさに痺れだした両手を、先程したように握って開いて繰り返す。

それから布団から取り出して、伸ばさずに届くその顔をなぞった。



「ん、…ア?起きたのかぁ?」

「腕が重い、退かせ」



ひた と冷たい掌が顔を這って、元親はゆっくりと目を開けた。

いつだかに失ったという片目は閉じたままに、嬉しそうに笑う。



「いつからいたんだ?」

「…」

「何か用だったのか?合い鍵渡しただろ、アレ使って入ってれば良かったのによ」

「…」



まだ寝ぼけ眼で元親は話し出す。

何も言わないでいるのを良い事に、元親は元就の上に被さっていた腕をゆっくりと持ち上げて、サラサラとした髪を弄り出した。



「何も言わねぇのはもう用事は済んだって事か?」

「ああ」

「そっか、泊まってくだろ?」

「とりあえず服を貸せ」

「あ、寒いか?」



それなら、と元親が大きな体を動かす。


ギシ と呻くスプリングにも今ではすっかり慣れた。

ただ黙ってその行動の末を目で追った。



「…おい」

「ん?まだ寒いか?」

「薄ら寒い」

「あはは!うまいな」



ぎゅう と抱き締められて、元就は苦しそうに呻く。

元親がソレを見て少し空間を空け、それでも逃げられないように、がっちりと元就を抱き締めた。



「…仕事は」

「明日か?オフだオフ」

「……そうか」

「あんたも明日はねぇだろ?だったら家でゴロゴロしてようぜ」

「…そんな、堕落した…生活は…」

「ああ、そういや居間にコタツも出したんだ、あんた好きだろ?」

「…ああ、アレか…」

「蜜柑もあるし、な。一緒に…」

「………」



すぅ と小さな寝息が聞こえ出して、元親は口を噤んだ。


寝てる時は大人しいし眉も顰めてなくて可愛いんだけどなぁ と惚気て、元親はその小さな体を抱き締める。

やっと寝入った手の掛かる姫を起こさぬよう、ソッ と額に口付けて、元親もゆっくりと目を閉じた。