beloved 1-8
涙を零す俺を

アノ人たちみたいに蔑む事も見て見ぬふりをする事もなく

髪を撫でて、抱き締めて、大丈夫だと励まし続けてくれたのは


果たして誰だったか…

The dream and The denial
あと少し


手を伸ばせば届きそう



幼い頃の記憶


生きる希望をなくしていた俺に生きろと言ってくれた人



貴方は誰なんですか?



ギュウッと服を掴む。



その顔は…



「あっ有り得ない…っ!!」

「うおっ!?」



ガバリと飛び起きた。

額や背中が嫌な汗をかいているが、今はソレを拭う気にもなれない。



「…っ!?…っはぁ…っはぁっ……………ッありえない…っ」



嫌な脱力感。

俺は一度起こした体をまた布団に埋めた。



「タ、タク?」

「ん?ああ、お早う誠二」

「…うん、お早う」



ワイシャツの袖に腕を通しかけた中途半端な格好で、誠二は俺を覗き込んだ。

汗でべっとりしているだろうにも関わらず、額に手を宛がう。



「まだ具合悪いの?」



熱はないみたいだけど…と続けて、心配そうに眉を下げる。



「違うよ…ただちょっと嫌な夢見ちゃって…」

「…そっか」

「?誠二…?」

「ほら、早く着替えなよ。ちょうど起こそうと思ってたんだ」

「え?…っうわっもうこんな時間!俺そんなに寝てたのか…」



枕元に置かれた腕時計を手に取れば、起床を目指していた時間は一時間ほど過ぎていた。


体が勝手に目覚めてしまうほど早起きは得意なのにちょっとショックだ…



「俺着替える前にシャワー浴びようかな」

「シャワーだけならここの使いなよ」

「うん、じゃあそうする。ああ、何なら先に行っても良いよ?」

「いーよ。まだ時間あるから」



行ってらっしゃいと手を振る誠二に一言返事を返してから、制服を持って部屋の奥のドアを開ける。


シャワーとミニバスは各個室に備え付けてある。

流石名門、と感心しながら服を脱ぎ捨てていく。



「……くっきり残るもんなんだな」



ふと目に入った鏡。


自分の右腕に、まだ痛々しく残る傷跡。



「……ッ」



その傷を隠すように左手で押さえて、鏡に額を押し付けた。

ギュウと目を瞑って、小さく息を吐く。



「………」



いつものクセだ。

逃避に使うなんて失礼だけれど、精神安定剤のように荒れていた心が静まっていくんだ。


泣きじゃくる俺を励まして

零れる涙を舐め取って、髪を撫でて、抱き締めて、

小さかった俺は、その人を思い出せないでいる。



幼い俺が顔を上げれば、いつも日が上に昇っていて、逆光で顔が見えな……アレ、見える…?



貴方は…


手を伸ばして、頬に触れ…



「だあああ!!だからどうして三上先生なんだよ…っ!!!」



ドンッとタイルの壁を叩く。


朝だってそうだ。



夢の中、幼い俺がいつも追いかけていたあの人に

今日はどうしてか追いつくことができて

お礼を言いたくて


そうして振り返ったその人は、あの皮肉ったらしい笑みを浮かべた三上先生 ―しかもちょっと幼い― だった。



「タクー?ちょ、大丈夫!?」

「ッあ、…いや…っちょ、ちょっとぶつけちゃって…せま…狭過ぎて…」

「ぷっあはは!ドジだなあ」

「もー、笑うなよー」

「ごめんごめん」



うくくと堪える笑いが遠ざかっていく。


張り詰めた緊張が一気に解けて、そのまま浴槽の縁に腰掛けた。





昨日あんな事があったから


香水がちょっと似ていたから…


だから履き違えただけ





三上先生が…人の心に遠慮なしに土足で踏み入って心を掻き乱して来るような人が、あの人と同一人物なはずないだろ。





いくら会いたいからって…どうかしてる…


我ながらおかしくて、苦笑いを浮かべたまま、シャワーのコックを捻った。



曇りガラスにぼんやりと映る自分の頬を伝っているのが涙だったらどうしよう…