貪婪な心底
貪婪な心底
キーンコーンカーンコーン…



そんなチャイムの音が聞こえて、文次郎は、ハァ と大きな溜息を吐いた。

見下げて見えるつむじの頭に向けて口を開く。



「伊作、いい加減にしろ」

「まだ足りない」

「もう予鈴が鳴った」

「あと少し」

「その台詞はコレで何度目だ」

「え?んーとねー…」

「考えなくて良い、だから離せ」



嫌だ と腕に力が篭る。


どこにでもある廊下の隅に伊作と文次郎はいた。

授業終了早々、弁当に手を付けようとしていた文次郎を伊作は引っ張り出してここまで連れてきた。


そうして三十分、弁当を食い損ね、挙句このままでは五限すらサボらされ兼ねない。


文次郎はもう一度溜息を吐いて、それから体に回っている伊作の腕を掴んだ。



「伊作、」

「…痛いよ」

「知るか、俺は授業をサボるつもりはない」

「ボクだってサボるつもりはないよ」

「じゃあ離せ」

「あいたたた」



バシ と強めに腕を叩いて、力が緩んだ隙に伊作と距離を取る。

三十分前は不意打ちに対応できずにされるがままだったが、今は違う。

どこから飛び掛かられようと、かわす事ができる。


伊作もそれを知っているのか、それとも諦めたのか、小さく肩を竦めた。

それから寂しさと悲しさに染まった色で文次郎を見つめる。



「文次郎は本当にボクが好きなのかな?」

「な、何言ってんだ」

「ボクは文次郎が好きなのに」

「別に俺はそんな…」

「これじゃ片思いの頃と変わらない」



キ と睨まれて、文次郎は一瞬たじろぐ。

だが、それを悟られずに睨み返した。



「お前がそれでも良いと言ったんだろうが」

「…っボクは………!…」



キーンコーンカーンコーン…


遮るように鳴り響く本鈴に文次郎は伊作を一瞥して踵を返した。



ポツン と一人残された伊作は、手に残る温もりを握り締めた。



「…こんなはずじゃなかったのにな…」



文次郎は、いつまでも感じるような視線に耐え兼ねて足早に教室に戻ると、仙蔵がのんびりと弁当を食べていた。



「お前、それ俺の…」

「ああ、あのままにしておくよりマシかと思ってな」

「そーかよ…で、本鈴鳴ったのに何悠長に食ってんだよ」

「黒板を見ろ。それよりも無理して食ってるんだぞ、礼ぐらい言え」

「勝手に食っておいて何言ってんだお前は」



手製の弁当をもりもりと食べている仙蔵の向こうの黒板に目をやると


『先生出張、自習!』


でかでかと書かれた汚らしい字が目に入る。

脇に誰が書いたのか落書きが目に付く。



「それで騒がしいわけか」

「ああ、ところで遅かったな。伊作は何の用だった?」



つ と切れ長の目を向けられて、文次郎は目を逸らした。


文次郎は仙蔵の目は苦手だった。


全てを見透かしたような見抜いているような、この目が。



「委員会の話だ、予算をもっと上げろだとよ」

「おお、それなら作法も上げてくれ」

「ふざけんな、お前のトコが一番持ってってんだぞ」

「生徒会長の特権だろう」

「お陰で一年生が赤字だと泣いている」

「遣り繰りするのが会計委員の仕事だろう?」

「ハッ、言ってろ」



パン


仙蔵が手を合わせた。

綺麗に平らげた弁当を包み、脇に置いてあったパック ―これも文次郎のもの― をズズーッと飲み干した。



「ご馳走様」

「おう、どれが一番美味かった?」

「そうだな、個人的にはこの金平ゴボウだな、良い味だった。だが薄味が好きなんだ。煮物はもう少し薄くしろ」

「もうやらねえよ」

「さて、自習とやらでもしようかな」

「おい」

「それはそうとだ、文次郎。一つ忠告しておいてやろう」



逆に向けた椅子を元の向きに戻して、ふと仙蔵は思い出したように半身を捻る。

まだ弁当の話かと文次郎は身を乗り出して、仙蔵に顔を近づけた。



「逢い引きも程々にな」

「は?!」

「私が気付いてないとでも思ったか?」

「…証拠は?」

「自分の服を嗅いでみろ」



そうやって見透かしたような目で仙蔵は小さく笑って、自分の机へと体を戻した。

おいだのちょっと待てだの声を掛けるが、まるでこれで終わりだと言わんばかりに仙蔵は振り向かない。


今までだって誰かに感づかれる事さえないように行動してきたつもりだし、伊作にもそれを強いた。

いくら仙蔵でも気付けまいとしてきた自身が一気に崩れていくのは、放った相手が仙蔵だからに他ならない。


ドクドク と高鳴る心臓を押さえて、文次郎は腕を自身の鼻に近づける。



「……医薬品…の匂い、?」



ポツ と自分で零して、ハッ とする。



「伊作、いい加減にしろ」

「まだ足りない」

「もう予鈴が鳴った」

「あと少し」

「その台詞はコレで何度目だ」

「え?んーとねー…」

「考えなくて良い、だから離せ」



「……まさか…な」



あんな優しい伊作がそんな事をするはずがないと、顔を覗かせた疑惑に頭を振って掻き消した。

一度出てしまった疑心は早々には消えてくれない。


紛らわすために出した教科書の字もノートにも手が付かず、文次郎はぼんやりとノートを見つめていた。