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「っかしいなあ…」



オレンジに染まった廊下には、まだいつも以上にざわめきと落ち着かなさが残っていた。

汚かった廊下にはワックスが塗られ、窓や壁には色紙で作った飾りが施され、外から見える正門前にはまだ多くの生徒がたむろしてた。



「…ふう、どこ行っちゃったんかな」



胸元についたちゃちい花飾りが歩く度に揺れ、卒業おめでとうの文字がふわふわと動く。

手にしていた蛇柄をした卒業証書の入った筒を、肩にとんと置いた。



「証書をそんな風に持つんじゃない」

「…先生!」



例えば、ここで誰か、少しでも彼を知る者がいたなら、彼の表情に驚いたことだろう。

普段の彼からは想像もつかないほど恐ろしい笑みは、もしかしたら知り合いがいては出ないものかもしれないが。



「探しちゃったよもー、どこ行ってたんだよ」

「俺がどこにいようが、お前に窘められる権利はないと思うんだがな」

「んなつめてえこと言うなよ」



彼の言葉を受けて、男はやれやれといった風に息を吐いた。



「まだ帰らんのか、柊がお前のこと探してたぞ」

「あー…肇のやつ…先帰れって言ったのに…」

「最後の日ぐらい、もう少しクラスメイトと一緒にいてやってもいいんじゃないのか」



彼はそこで、目を丸くした。



「先生がそんなこと言うの、珍しい」

「そうか?」

「うん。でも肇とならこの先も多分付き合い続くだろうし、クラスメイトのやつらは…うーん、別にいいや」

「…お前は最後まで誰にも関心を示さなかったな」



男のその言い草は、まるで自分を責めているようなそれだった。

彼はますます目を丸くし、そして笑った。



「担任だからってそこまで責任感じる必要はないと思うけど。俺だって子供じゃないし、好きなように生きてる」

「そうか」

「うん、それに俺、まるっきり他人に無関心、ってわけじゃないぜ」

「…言うな」

「少なくとも、先生には関心あるよ」

「はあ…」

「溜息つくなよ。最後の日くらい一緒にいてくれって。……俺、子供じゃないから覚悟だってできてるよ」



子供じゃないと言い張るところが子供なんだが…と言う言葉を喉元で飲み込む。

その目からは確かに強いものを感じて、いつものようにあしらうことを躊躇われたからだ。



「約束、守ってくれんだろ首位、取ったぜ?」

「後悔しないな?」

「もっちろん。俺の操、先生に捧げちゃう」

「その言い方はよせ」

「…じゃあ、俺を貰ってください」



まるで自分の体なんだから大事にしてくれと、子を身籠った女性にでも投げかけそうな言葉に聞こえ、修一郎は小さく苦笑した。





「…ふ、ぶはっはは、やべ、くすぐったい」



薬品のにおいと、新品でいつまで経っても温かくならないシーツと、目が眩むような一面の白。

カーテンで閉ざされた小さな空間で、衣擦れの音が遠くから聞こえる野球部の掛け声に交じって耳に届く。


ああ、野球部はこんな日まで活動してるんだなあ。場違いにそんなことを考えた。



「っうあっ、な、なに」

「気が削がれていると思ってな」

「あはは、バレてた」



今朝掛けてきたアイロンが無駄になっただろう、ワイシャツは首元まで捲りあげられている。

自分の目を疑いたくなるおかしな光景。

先生が、俺の乳首吸っちゃってるなんてさ。



「随分と余裕だな」

「どーかな…ドッキドキしてんだけど、分かんねえ?」

「心音は…確かに速いな」

「!」



左胸の、少し下に冷たい手が触れ、小さく笑う声が聞こえた。



「どうした?また速くなってるが…」

「…反則だ…」



最後にそんな……笑うなんて…

不意にこみ上げた泣きたくなる衝動を腕で隠せば、唇に何かが触れた。



「…なん…」

「ちゃんとしてやる約束だったからな」

「………そりゃ…ご丁寧にどーも」



涙もバカらしく思えてくる言葉に、苦笑いを零す。

その表情を見、男は行動を再開した。



「…っ、せ、んせ、さ…」

「…」

「…実は…っ、あっ…慣れてる…?」

「男とするのは初めてだがな」



女とは…したことあんのかなあ。まあ、そりゃ、年だっていってんだから当然なんだろうけど。

俺からしたら、結婚してないことが不幸中の幸いなんだろうか。



「っああっ!ちょ、いきなり…」

「どうも気が漫ろだな、やっぱりやめるか?」

「そんなとこ触っといて、やめるなんて本気で言ってんなら、俺はあんたを鬼畜とみなすぞ」



つーか、触ってんなら分かるだろ…と自分でも思いがけず消え入りそうな声になっていて。

乙女かと突っ込む間もなく、触れていた手がするすると形をなぞるように動いた。



「あ、ああぅっ」

「愚問だったようだな」

「そーそー…もう、さ、よゆーもねーし、ぐっちゃぐちゃだし、ドッキドキしてるし…やべーわけよ」

「…」



彼の言葉には反応せず、男は熱くそそり立った逸物に手を添え、上下に動かした。

その度に、堪らないとでも言うように体が跳ねる。



「あ、あ、あっ…やべ…せんせ、ど、しよ…っ」

「なんだ」

「手ぇ、冷たくて…気持ちい、いっ」

「そうか」



それは良かったと大してよくもなさそうに言い放って、動かす手を徐々に速めていく。

耐えるようにシーツを握る手は、シーツだけでは足らず、甲を思い切り噛み締めていた。



「おい、それじゃ――」

「っあああ――……っ!!」



言葉に被さって、白い肌が弓なりに反れる。

予想外の現状に目を瞬きながら、頭のどこかは目に入らなくて良かったとぼんやり考えていた。



「ご、ごめ…先生、俺も自分がこんな耐え性ないと思わなくて…」

「いや、構わない」



先程までの余裕はどこへやら、彼の目には見えているだろう白濁としたものにまみれている自分に、随分と動揺している。

ポケットからハンカチを取り出そうとする手を止め、指先についたそれを舐める。



「ちょっ…」

「さっきふと思ったんだが…」

「え…?」

「照れてる時には、よく喋るんだな」



そう言って小さく笑った。

笑う顔を真正面から、しかもこんな近くで見たのは初めてのことで、思わず口がぽかんと開いてしまった。

そして、思い出したように顔が熱くなる。



「なっ!!そそそそ、そんなことは…!」

「そういうところ、可愛いと思うよ」

「〜〜〜〜〜〜っ!!!」



そんなもんにまみれて、言うことかよ!

違う意味で泣き出したくなった彼を、男はまたベッドへと沈める。



「…お前を手放さなくても良いかもしれないと思い始めたよ」

「え……?…ま、マジで!?これからもこうやってエッチしてくれんの!?」

「…どうしてそう、即物的なんだ、お前は…」



世間ではこういうやつがモテるんだろうか。

未だ口の中に広がる青臭い苦みを堪えながら、男はがくりと頭を垂れた。



「はは、それは半分冗談だけどさ………やべ…うれし…」



今度こそ堪え切れなかった涙が、覆い隠した手の隙間から零れ落ちる。



「…今から泣いてると、もたないぞ」

「ふっ…なにそれ、慰めてんの…?」

「一応な」

「いいよ、康哉になら…どんだけ泣かされても」

「お前…仮にも年上に向かって」

「先生も俺の名前、呼んだらいいよ。そしたらあいこ」

「………はあ」

「あ、でもフルでは呼ぶなよ。何か古臭くて好きじゃないんだ」

「そうか?俺は結構好きなんだがな」



お前の名前。

そう言って降ってくる口付けに、まあ、うん、自分の名前も悪くないのかもしれないなんて、現金なことを考えた。



「…修…」

「!な、なに!」

「お前が呼べと言ったんだろう」

「そ、そうだけど」



何だかドキドキする。

いや、バクバクする。息がしづらくなって目の前がくらくらして、ああもうどうにかなってしまいそうな感じだ。



「…大丈夫か?」

「だ、大丈夫だから…続…あうっ」



続けてという間もなかった。

出したばかりだというのにまたも熱を持ち始めた己を握られ、思わず声が裏返る。



「…ん、ん…な、にやって…」

「そのまま入れたら痛いだろうからな」

「だからって…そんな…」



鼓膜を刺激し始めたのは、先端から溢れるその液体の音。

指で擦ってそのぬめりを掌に、後ろへと塗りたくる。

それが何とも言い難いもので、指先が触れる箇所からびりびりと電流が流れていくようだった。



「ん、うっ、あ…」



身を捩りながら、頬をちくちくさす濡れた髪の毛にこそばゆい思いをしていると、不意に手が伸びてきて髪がどかされた。


その、俺のナニでべったべたな手で。



「………」

「少し馴らしておくか……って、何だ、その目は」

「べつに」



汗とは違うもので濡れた頬を枕で拭おうと顔を背ければ、それを拗ねたと勘違いしたのか。

男はやはりそのべったべたの手で、顔をこちらへ向かせた。



「何拗ねてるのか知らんが、そんな顔されても可愛いだけだぞ」

「はあ?なにいっ…んむっ」



さっき胸に這ったざらりとした感触が、口の中へと入りこむ。

逃げる間もなく絡めとられて、犬歯で噛まれて、その度にぞわぞわと鳥肌が立った。



「…は、あ…はあ」

「……」

「な、なに黙っ…〜〜〜〜っ」

「キスだけでも感じるのか、お前」

「う、うるさい!ああもう、いいから早く続きしろっつーの」



どうしてこんなに心を掻き乱されるんだろう。

淡々と酷いことばっかり言ってくるこんな嫌なやつに対して、どうして自分はこんなにも惹かれているんだろう。


そんな思考は、言葉より早いか再開された動きによって霧の中へ消えていく。



「っんんんっ!」



普段はチョークだとかペンだとか、そういったものを持つ手が、指が中に、ゆっくりと入ってくる。

ぴりっとした痛みと圧迫感はあるものの、ひどくはない。


そうして段々と、指が奥へ奥へ入っていくにつれ、何だか不思議な感覚にとらわれる。


気持ちが悪いような、良いような…



「複雑そうな顔してるな」

「ん…あんたもやってみれば分かると思う」

「勘弁しろ」

「…ははっ…う、ああっ?!」



短く切りそろえられた爪が、一点を引っ掻くと、不意に体の中の熱が上がったような気がした。

変な声も出た。



「な…なに…何した…?」

「別に何も」

「な、何もって…そんなはずっ、あっ あっ!ちょ、や…っだ、それ!あああっ!」



冷静に考えれば、きっと単純に先生は、良いように反応する俺を面白がっていたのだろう。


俺は呆気なく果てた。



「…二回もいっちゃったよ…何か、俺、素質ありそう?」

「どうかな」

「今度は顔に掛かんなかったか?」

「そう何度もされて堪るか」

「あはは、残念」



勝手に口が動く、自分の意思ではどうすることもできなくて滑るように流れていく言葉。

先程先生が言っていた言葉が不意に脳裏によぎる。



恥ずかしいとよく喋る…か。肇はそんな俺を知っていただろうか。



「他のことを考えている余裕があるなら、大丈夫だな」

「へ?うおあっ!」



ズボンを取り払われて、足を掴まれたかと思えば、体の体勢が急に苦しくなる。

足を担がれ、どうにも身動きが取れなくなってしまった。



「せ、せんせ…」

「今そうやって呼ぶな」

「はは、悪いことしてる気分?」

「それに、もうお前の先生じゃないからな」

「んな寂しいこと、言うなよ」



俺にとっては先生は先生で、でも存在は先生以上なんだからさ。

シーツを握ったまま固まっていた指をほどいて首に回せば、端正な顔が近づいてくる。


恐る恐る口付ければ、どうということはないとでもいうように口付けが返ってきた。



「…痛かったら言え」

「どうしよっかな」

「好きにしろ」

「冷たいなあ」



冷たいけど、それは火傷しそうなほどに熱くて、泣き出したいほど痛くて。

それでも堪えられたのは、先生だからで。



「っつう…う、ああっ」

「息吐け、舌噛むぞ」

「んな…っ…ったって…っ!うあっ!や、やめ、さわ…んなあっ」



力を抜かせるためとはいえ、気が抜けないような状態でそんなところを触れられて、足の先が痙攣するように突っ張った。



「あ、ああっ…やだ、まっ………こ…や…っ」

「なんだ、修」

「〜〜っも、動いて、い…からっ」



耳に届いたその声は、涙腺を壊すに容易いほどの優しさが込められていて。

自棄になってそう言えば、意外と涙腺弱いのかお前、とやはり悪態が零された。



「煩いな…こんなん…先生でしかなんねえっつの…」

「それは重畳」

「…ちょ…?どういう…っんああっ!」

「あとで…っ、いくらでも、教えてやるさ」

「っあ、あっ、い、いらな…っ国語なんてっ…眠い、だけだしっあああっ!」

「これからは、寝かせてなんかやらないからな…っ」

「ああっ、も、激しっ、やっ…っ!やべっあっ、あっ――――っあああああああぁ……っ!!」

「―――…っ!!」



後半は何を言ってるのかも聞こえなくて分からなくて、閉じた瞼の向こうで、眩しいものが散った気がした。

あとはただただ、あったかいばっかりで、俺は急に襲われた眠気に身を落とした。



「……は、はあ…はあ………おい、冗談だろ、何寝てやがる」



見ようによっては気絶したとも取れる途切れっぷりに男は盛大に息を吐く。

やることも問題も山積みなんだが…まあ今ぐらいは大目に見てやるか。

そんなことを考えながら、男はそっと彼の手の甲に口付けた。