ああ、ああ、ああ、ああ、ああああああ、もう…ほしい、なあ。 血脈相承 雲の合間から月の光がさして、目が眩んだ。ただでさえぼうっとする頭なのに、なんてことしてくれんだ… 「伊織ちゃん、大丈夫かい?」 「ううあ…も、もー…やんなっちゃいます、ねえ、ふふ」 無理やり笑ったら、頬が引き攣ってヒクリと痙攣を起こした。 寝転がったベッドの下は、熱を帯びて暑苦しい。 濡れてはりついた髪を避けるお兄ちゃんの手は、氷のように冷たくて気持ちがいい。 「ああもう、その辺りにいなくなっても良さそうな人が……一人や二人や十人ぐらいいませんかね」 「人の命は平等で、消えていいものなど一つもないんだよ」 「お兄ちゃんがそれを言いますか」 衝動…殺人衝動が抑えられなくなってきて二ヶ月ほどが経つ。 当たり前ができなくなって、普通ができなくなって、今のわたしの頭は、生臭いにおいと、リアルな感触を求めている。 「伊織ちゃんが、嫌だって言うから合わせてあげてるんだよ?」 「うあー…感謝…感謝してますよう、はいはい」 「やれやれ」 お兄ちゃんは当然だよと言った、殺人鬼なんだから、と。 つい最近まで女子高生だったわたしに、事も無げにサラッと言ってくれるじゃないかとイラッとしたりもしたけれど… まあだからこそ理解されない部分なわけで、しょうがないことなのだろう。 ある程度は制御してあげられるけど、本能は抑え込むことは不可能だよとも言った。 わたしは、それが怖かった。 血を求めるわたしは、その感触を求めるわたしは無桐伊織じゃないから… 零崎舞織だって、良いとは思うけど…だからといってはいそうですかと名前を変えられるわけじゃない、凡人から殺人鬼に豹変できるわけじゃない。 いやでも、豹変は…できそうだ。きっと… 理性を手放せば いとも簡単に。 それは楽だろう、快楽でもあるだろう。でも、自分が自分でなくなるのは、まだ怖い。そうやすやすと受け入れられるほど、敏い人間じゃないから。 「あーもう、わらひのゆひれも限界れす」 「それはやめなさいって何度も言ってるよね?」 右手人差し指を、子供のように咥えて、食事をするように上下の顎を動かして、指を噛む。 子供のような所作で、殺人鬼の制御を―― しきれるはずもないのに。 わたしは縋っているのだ、無桐伊織に。 未練はないと思いながらも、零崎舞織もいいじゃないかと考えながらも、執着し、固執し、縛っている。自分を縛り、自分に縛られている。 自分の指から伝う血で抑えられれば、吸血鬼だってその名の通り、自給自足できよう。 できないから存在するのだ、人の血を吸い生き永らえる吸血鬼が。逝き永らえているのだ、殺人鬼は。 お兄ちゃんは、わたしの腕を掴んで口から離させる。 唾液が糸のように舌と指先とを繋ぎ、ぷつりと切れた。 赤く滲んだ血に、顔をしかめ、お兄ちゃんはわたしの指を口に含んだ。 「そういった安定の取り方はやめてくれ」 「だあってわたしは殺人鬼で…きっと吸血鬼でもあって…血がほしいんですよお」 二ヶ月は、あまりに早く訪れ、あまりに長く耐え難い時間だった。 最初は指から流れる血に、衝動を抑えられるような気がした。安寧を手に入れたような気分だった。 やべこれ、いけるんじゃね!?なんて思ったりもしたが、そんなものはただの幻であり紛い物でしかないことは、すぐに痛感することとなる。 「受け入れられたら楽になれるんだよ?」 「きっと…いつかは受け入れなきゃいけない日が…来るんだと思います。わたし、それが嫌なわけじゃないんです」 「うん」 「後悔だって…してませんよ」 「うん」 「でも、もうわたしは…女子高生じゃなくて、家族もいなくて…わたしの存在、消えちゃうじゃないですかあ」 「うん」 「家族の記憶も、家族の存在も、誰が覚えててくれる確証があるんですか…」 新しいことは怖いことがいっぱいだ。全てから逃げてきたわたしにとって、物事を真正面から受け止めることは未知との遭遇甚だしい。 怖いのもいやだ、痛いのもいやだ、寂しいのも辛いのも悲しいものきついのも、自分が嫌だと思うことは全部いやだ。 でもそうやって逃げるのをやめたから、やめたいから… 本能に揺さぶられるままに自我を手放すのも逃げだと思ったし、伊織にしがみつく自分も、本能からの逃げだと思った。 終わらない葛藤にもうモヤモヤが抑えきれなくて、気づくとわたしの頬は涙に濡れていた。 「よし」 お兄ちゃんが何か決意したようだった。 けれど今のわたしにそれを訪ねるだけの余裕はない。 「伊織ちゃん、はい、あーん」 「へ?」 「あーん?」 「あー…ふ、むっ?」 開けたわたしの口に入りこんできたのは、お兄ちゃんの人差し指だった。 先程わたしが自分でしていたように… 「お、おにいひゃ…」 「いいね、そういうのもそそられるなあ」 「………」 「ま、それは十分の一冗談として」 ほとんど本気かよ!! 「噛んでくれて構わないよ」 「え」 「そんなに驚くことじゃないだろう?私達は家族だよ。そして長兄は苦しんでいる家族を放っておいてはならないんだよ」 「れ、れも…」 事も無げに吐かれた言葉に動揺を隠せないわたしを放って、お兄ちゃんは犬歯にその指をあてた。 「君は私の妹だ。そろそろ愛されていることを実感すべきだよ。ほら、いいよ、がっといってくれて。痛みには慣れてる」 痛いものは痛いけどね、と笑うお兄ちゃん。 その時、口内にふわと鉄臭い味が広がった。 まだ噛んでいないのに…そう思って見上げれば、お兄ちゃんは優しい顔で笑った。 わたしの口に入れる前に、予め傷でもつけたのだろう、か… 「おにいひゃん…」 ぞくぞくと鳥肌の立つその味は、においは、堪らなく…たまらなくたまらなくたまらなくわたしが求めていたもので。 ほしくてほしくて、我慢していた他の人の味で、ああ、それがわたしを愛する兄のものだと思えばなおのこと。 「おにいひゃ…」 「私はね、伊織ちゃん…今までの伊織ちゃんを知らないよ。けれどそれの当然のことだ。君らの記憶は君らだけのものであり、私達と共有することはできない。想像することはできてもね。映像も音声も、全て君のものなんだよ」 「……」 「今までも大切だ、忘れろとも捨てろとも私は言わないよ。けれど…けれど後ろばかり見ていてはだめだ、見えない前に怯えていてはだめなんだよ」 「でも」 「怖いのはみんな同じだよ、だから家族がいるんだ、私やアスや人識や…トキもそうだし…ほかのみんなも」 「…」 「嫌なことは、家族で乗り越えよう。そのために、私は家族を作ったんだ」 「……はい……」 どうしようもなくシスコンでブラコンで、如何わしくて疑わしくて変態で、頼り甲斐があるのかないのか分からないけれど… 「ありあろう、おにいひゃん」 そうしてとてつもなく恰好がつかなかったわたしだけれど。 「うんうん、無理をすることはないんだよ」 「殺人鬼でも吸血鬼でも、伊織ちゃんが大好きだよ、女子高生でスパッツを穿いちゃう伊織ちゃんもね」 「かみひってやりまひょうは?」 「うふふ、面白いことをいう子だね」 口の中に充満した赤い味にようやく落ち着きだしたわたしの心は、急速に睡眠を求めていた。 眩しい月も雲の中、じとりと暑かった背中も汗が冷えて涼しいほどだ。 「眠いのかい?」 「……はい」 「いいよ、このまま寝てくれて」 「…うん…おにいひゃ、ん」 「ん?」 「おにいひゃんの血は、あったかいね」 「そうかな、伊織ちゃんの血は、君の家族の味がしたよ」 「……じゃあ……きょうゆう、できるか、なあ…」 「ふふ、どうだろうね」 「できたら…うれしい、な…わたしがしんでも、おにい ひゃん が…」 覚えていて、くれるから。 言えずに終わった言葉は、お兄ちゃんに届いただろうか。 愛し合う二人に、不可能は無いと思わないかい? そんなお兄ちゃんの言葉が、わたしの耳にぼんやりと残ったように。 以前斎冬さまが素敵な小説をくださったので、そのお礼にヤンデレを書いてみました。 双舞はヤンデレが似合うよね!と思います、が久しぶりに書いたので、玉砕した感満載です…くっ ですが少しでも楽しんで頂けましたら嬉しいですvそしていつかリベンジを…!笑 あの時は、本当にありがとうございましたvこれからも宜しくお願いしますvv |