夫婦はとても難しい。

今まで他人だった者同士が、いつだって自分の傍に、思考に、存在するようになるのだ。


他人であれば意見が食い違う事があり、それによって恋人同士ならば破局を迎えたり、夫婦ならば離婚を迎えたり。

他人であればこそ、そこで縁は切れてしまうけれど、兄妹であるならば訳が違う。


血が繋がってないとはいえ、だからこそ結婚できたとはいえ、離婚などしては二人だけの問題では済まなくなるわけだし。


とそこまでグルグル考えたところで、双識は一つ、ある事を思い付いた。



「お約束事、ですか」



家庭円満であるために、伊織に提案を出したのだった。

newly married life

遠くで犬の遠吠えが一つ聞こえて、ソレに答えるように、二つ、三つと遠吠えがどこかで響いていた。


時間も時間。

余程早寝早起きを推進している夫婦で無ければ夜の営みに励んでいるだろうそんな頃。

人も人ならば、ましてや新婚ともあれば、励んでいなければ不自然とさえとれるそんな頃。


だが初夜であるにも関わらず、情交を結ばずに話し合う夫婦の姿が、ここにはあった。


妻、伊織は幼い顔を更に幼くさせて、きょとんとしていた。

夫となった双識は、その妻の表情を不安そうに伺っていた。



「うん、いつまでも仲良くいるために、いくつかの約束を二人で作ろうじゃないか」

「約束…」



そう提案する傍ら、双識は内心、重過ぎはしないだろうかと不安に襲われる。

こんな事、決めてしまう方が、いつか二人を雁字搦めに邪魔するものになるのではないかと…


良かれと思って出した提案は、みるみるボロが出てくるように思える。

ああどうしてもっと考えてから提案しなかったのか…


双識が、何と言おうとしたのか、口を開き掛けたところで、伊織がこちらを見遣った。



「ふむ、良いかもですね」

「…え…?」

「?良いと思いますよ、そのお約束があれば色んな事をお約束で解決できますもんね」



流石わたしのお兄ちゃん、いえ、こういう時はわたしの旦那様って言えば良いですかね、うふふー

だなんて、可愛らしい戯言も、もう耳に入らない。


ああ…



「ありがとう、伊織ちゃん」

「何がですか?」

「ううん、ありがとう」

「?どう致しましてー」



ありがとう、伊織ちゃん。

私が選んだ選択を、君が正しかったと一言、たった一言言うだけで、こんなにも世界が変わる。


そもそも伊織ちゃんがそんな事、思うとでも思っていたのか自分は。

情けない、妻を信じられずにいてどうするか。


にしても可愛い伊織ちゃんに、私は一体全体どうしたら良いのだろうね。


グルグルと悩んでいた思考はどこへやら、

双識から突然礼を言われ、その後見つめられ続け、伊織は居心地悪そうに目を逸らす。

時折、目線を上げては、双識とバッチリ目が合ってまた目を逸らす。


可愛いなぁ…だなんて、当たり前の事なのに…

そんな事を改めて思わされてしまうほどに、可愛い。



「お、お兄ちゃん!!」



居た堪れなさに、伊織は顔を赤らめながら叫んだ。

するとすぐさま隣の部屋から、うるせぇ! と罵声と供に壁をガンと蹴る音がした。



「ご、ごめんなさいっ!」



あわわ と驚きに肩を揺らして、伊織は壁に向かって詫びの言葉を述べる。

そしてしょんぼりと俯いてしまった事に静かに苦笑して、声を掛けた。



「何かな、伊織ちゃん」

「あ、あう…わ、わたしから二つ、お約束事を提案です!」

「うん、どうぞ」



この気まずさを打破する事に成功したらしい伊織は、漸く落ち着いた表情を見せ、人指し指を一つ、立てた。



「夜は一緒に寝て下さい」

「……………」



これは、……これはちょっと…想定外。

大ダメージ…主に下半身に。



「喧嘩しちゃった日も、わたしが嫌だって言っても、無理矢理にでも良いから…一緒に寝て下さい」

「……うん」

「もうわたしの部屋で、わたしを一人で寝かしちゃ嫌ですからね」

「うん」

「あ、でもお仕事とか、どうしても傍にいれない時は…仕方ないですけど」

「なるべく、そんな事が無いようにするよ」

「…は、はい!」



しゅんとして、瞬間パァと明るくなって…


ああ、どうしよう。

抱き締めたいな、ダメかな。


うずうずとそちらへ伸びる手を、「次に」という伊織の言葉が停止させた。

ここで機嫌を損ねてはいけないと、双識は、苦笑しながら聞き手に回る。



「目が覚めた時には、傍にいて下さい」

「………」

「一日の始まりは、お兄ちゃんがいいな」

「………っっっあーもう!」

「うなあ!はいごめんなさい何ですか、って、わ、あ、うぶっ!!」



ダメだった。

零崎双識、我慢できませんでした。


その小さな体をぎゅうと抱き締めて…うん、やっぱり離さずに言おう。

少しだけ、恥ずかしい気もするので。



「約束事第三条」

「は、はい!」

「伊織ちゃんのお願い事は何でも叶えてみせるよ」



ああ、これじゃあ約束事の意味がまるで無いじゃないか。


肩越しに、くすくす笑う声が聞こえてきて、顔を見たいような、見られたく無いような、複雑な思いに陥る。

結果、抱き締めたまま。



「…お兄ちゃん、…」


「大好きです」



ああ……私の完敗だよ、伊織ちゃん。