「…ふぁあ…」

傍に…

「…眠いの?伊織ちゃん」

「ん、さっきまでは眠くなかったんですけど…うん、…眠いです」



お兄ちゃんといると眠くなる と不安定に首を揺らしながら呟いた。


もうお休み と言えない自身が情けない。

この年にもなって恋だの愛だのに現をぬかし、後少しだけ後少しだけと底無しに欲深くなっている。


この欲深さにこの子が潰れてしまったらどうしよう と不安さえも過ぎる。



「…寝る?」

「うん?……………まだ、いい です」



ぼんやりとした瞳がこちらを向く。

首を傾いで言われた言葉を反復して噛み砕いて飲み込んで、漸く理解したのか、ゆるゆると首を振った。


けれど言葉とは裏腹に、伊織の頭は傾いで双識の肩へと凭れ掛かっていく。

相当眠いようだ。



「伊織ちゃん、本当に寝た方が…」

「邪魔ですか?」

「そんな事は無いけれど、このままここで寝ては風邪を引いてしまうよ?」

「ん、…でも…」



必死に睡魔と戦って瞳を擦る姿に思わず口が緩む。



「もう少し、お兄ちゃんの傍に いたいんです」

「…仕様のない子だね」



そう言った手前、心中では可愛い可愛いと連呼して腕に抱き込んでしまいたい思いでいっぱいだった。


プツッ テレビの主電源を切る。

立ち上がった際に伊織は重力に従ってソファへと沈み込んだ。


そのまま部屋の電気も消して、ソファに寝そべっている伊織を抱き上げた。



「兄を誘惑して、どういうつもりなのかな?」

「うふふ、一緒に寝たい魂胆なんです」

「…寝るだけ?」

「…眠いから、えっちな事はまた今度にして下さい」



そうか、それはそれはとても残念だよ… と双識は笑いながら自室のドアを開けた。


持ち主に似て簡素で必要最低限の物しか置かれていないその空間は、寂しさと静けさを併せ持っている。

ベッドに伊織を降ろして、部屋の明かりを点ける。



「ん、ん…、眩しいですよう」

「ああ、ごめんね」



眩しいー とのたまって伊織は毛布に包まった。

双識は部屋の明かりを消してデスクに付属された蛍光灯を点した。



「お兄ちゃん…寝ないんですか?」

「ああ、うん。これだけ…書いてしまいたいんだ」

「?」

「すぐいくから、ね?」

「はぁい」



ヒヤリ としたシーツが気持ち良いのか、伊織はしきりにシーツに頬を当てる。



「お兄ちゃんの匂いがしますね」

「嫌かい?」

「いいえ、お兄ちゃんの匂いに包まれていると、すごく安心します。抱き締められてるみたいで、すごく幸せ…」

「うふふ、有り難う」

「どう致しまして」



話をしていて、いつもなら見える赤い瞳がこの部屋に入ってから一度も見ていない事に気付いた。

今、兄の意識は自分ではなく、ソレに向けられている。


手紙にヤキモチだなんて、恥ずかしい事だけれど誤魔化しようのない事実だ。


こちらを見て欲しい。

私だけを…



「…それにしてもさっきから何を書いているんですか?ラブレターですか?」

「そうだね、ラブレターに近いものかも知れない」

「わたし宛だったら嬉しいですねー」

「伊織ちゃんへ宛てる物だけれど、伊織ちゃんへ届かない事を私は願うよ」

「…お兄ちゃん?」



カツ と音がした。


ペンが置かれて、その紙は丁寧に折られる。

封筒に入れてしっかり糊付けまでされて。


それから続いて、パチ という音がして蛍光灯が消える。


明るさに慣れた目では、今真っ暗闇も同然で、それがとても怖くなる。



「お、お兄ちゃ…」



アテもなく手を空に翳す。

暗闇はその自分の手を持っていきそうなほどに暗い。


慌てて引っ込めようとして、ガシリ と掴まれた。



「大丈夫。ここにいるよ」



眼鏡越しではないけれど、その赤い瞳が見えた事に酷く安堵して、起こし掛けた体を再びベッドに沈めた。



「もう終わりですか?」

「うん、もう傍にいるよ」

「そんな事は聞いてませんよ」



ベッドに二人。

狭くはないが広くもない。


すっぽりと抱き締められて、細身ながらに自分より大きくて大人で男なのだと不意に気付いてしまう。

分かっていた事を再認識されると、取り残されるような焦燥感や、その魅力にドキマギとしてしまう自分がいる。


伊織の頬を撫でて、双識が問うた。



「本当に、したくない?」

「…どうしたんですか?」

「どうもこうも…伊織ちゃんが可愛くて仕方が無いんだよ」

「私のせいにしないで下さいよう」



一度断られたらすんなり引くか、はたまた強行手段に及ぶ兄が、再度の問いを掛けて来る事は珍しい。


けれど安堵を与える温もりや匂いに包まれて、伊織は既にまどろみの中にいた。



「…ごめんなさい、お兄ちゃん…明日、ね?」

「…私の方こそ、悪かったね。無理強いする気は無いから、お休み」



チラリ と見せたその瞳の色は、どうしてか悲哀に満ちていた。

言葉も心なしか落ち着き払いに拍車が掛かっていて、酷く不安定だった。



「おにいちゃ…」



頭の中を駆け巡る沢山の言葉に埋もれるように

伊織は与えられた温かな口付けに身を委ねながら静かに睡魔の手に落ちてゆく。





そうして目が覚めた翌朝、双識はいなくなっていた。