僕はかつてないほどの強い殺意を抱いて、忍野と対峙していた。



「いやー、そんなに睨みつけないでよ。阿良々木くんてば、ほんと元気がいいねえ」

「……っ」



対峙…いや、対峙なんてそんな良いものではなかったと思う。


初めから対等なんかじゃなかった。

まるで一方的だった。

自分の弱さを、小ささを思い知らされるような

逃げることも避けることさえも許されず、ただただ一方的に。



「阿良々木くんて、若い、ねえ」

「……っ!っ!」



しみじみ言われたその言葉は、細められたその目はどう見ても馬鹿にしているようにしか思えず、反論を返そうと口を開く。

しかしそれさえも許さないとばかりに忍野の指が僕の口の中へと押し込まれ、呻き声だけが零れた。



「んんっ」

「はっはー。そんな目をして…そんな僕に噛みつきそうな目をして…阿良々木くんてば阿良々木くん。なにか、いいことでもあったのかい?」



忍野は、口の中へ突っ込んだ指で僕の舌を弄びながら、にやにやと問うた。

いいことなんてあるわけないだろ、ばかやろう。



どうしてこんなことになってしまったんだろう。

何がいけなかったのか、悪かったのか。


そもそも何でこんなことになったのかさえ、僕は思い出せない。

愛を知らない恋物語 零

廃墟、それはおおよそ人の住むところではない場所である。

彼はそこを居場所としていた。

この場所に住むにあたっての住処としていた。


夏は涼しく冬は寒い、いつだって日の当たらないそこは、考えてみれば影に生きるものとしてはうってつけの場所なのかもしれない。



「っ…つ…」

「耐えて耐え切れないことはない」



頭に浮かぶのは、いつものふざけたアロハシャツなんかじゃなくて

もっと清潔で品のある

彼が生業とするところの


正装。



「…っ」



ぞくりとするようなあの酷薄な笑み、薄く笑った瞳が――



「けれど、耐え難いほどの」

「ああっ」



快楽、と呟いた忍野の声は、僕の悲鳴に近い叫びに掻き消され、聞き取ることができなかった。

いや聞き取る取らない以前に、僕の意識は混濁していたから、忍野の声なんて聞こえていないようなものだった。


何もかもがあやふやで、おぼろげな時空間。



「阿良々木くんてさ、苛めたくなる、とか言われたりしない?」

「え…?あっ…はっ!」



そういう素質あるんじゃないかなあ。と神妙に頷きながら、忍野の手は一向に止まる気配を見せない。

何だか鼓膜を揺さぶる音が、水浸しになってしまった何かのようで、たまらなく、たまらなく…


どうして、こんなことになってしまったんだろう。

僕はどうして――



「お、…ひの…っ」



舌を弄る指のせいで呂律さえも回らない。

やめてくれと目で訴えても、返ってくるのは胡散臭い笑顔と恐ろしいほどの快楽だった。



「今ここでやめても、君が辛いだけじゃないか。もう辛い思いなんてし飽きてるだろうに」



忍野の笑顔ほど軽薄なものはない。

今は、怪異を相手にしたときのゾクリとするような冷酷な笑みとは違う、軽く小馬鹿にさえしたような…



「あ、ああっ」

「阿良々木くん、別のことを考えてるようだけど…随分とまあ余裕じゃあないか」

「ま、まっ…っん、ああっ」



暗闇に慣れる目はあっても、音に慣れる耳は無い。

足に引っ掛かったままのズボン、冷たい空気に晒された自身が冷気を感じていられたのはほんの数分のこと。


冷たい忍野の手がみるみるうちに熱をもたせて、音を響かせる。

そんな状態が、もうどれほど続いただろうか。


暗くて静かな廃墟に似つかわしいのか似つかわしくないのか。

よく響くその音を聞きたくなくてか洩れる僕のもののようで僕のものとは思えない声が口から洩れていく。


文字にして打ち出せば、ちっぽけな大人のビデオのような…



「阿良々木くん、目を瞑ったって真っ暗なだけだろ。世界はこんなにも明るいよ、ほら、目を開けてごらんよ」

「い、いや…ら…」

「ほーら」

「ああっ!」



どう足掻いても逆らうことなどできなくて。


指先が擦った先端に、体中を電流が走ったみたいに痺れだして思わず目を開けてしまう。

瞬きを数度繰り返せば、涙が零れた。



「泣いてるのかい?可哀想にねえ」

「…っう、あ…」

「辛そうだねえ、まるで人生の苦渋を舐めらせられているような顔だねえ」

「…んんっ く…っ」



僕はねえと忍野は続ける。

独り言のように呟いている言葉は、僕が聞いていようがいまいが関係無いようだった。



「僕はねえ阿良々木くん、君みたいなやつを見ていると、堪らなく苛めたくなるんだよ」

「そん…」

「別に君が悪いと言ってるわけじゃあないんだ、良い性格だと思うよ。見えるものすべてを助けたいという偽善もお人好しも、ヒーローみたいで…かっこいいじゃないか」

「……っ」

「でも、そう言うのを見てると…壊したくなっちゃうんだよねえ。いやあ、僕もまだまだ若いってことなのかなあ」



はっはー参ったねといつもの口調で、いつもと違うその目で見下ろされて、なぜか興奮する僕がいた。

その様子に流石の押野もドン引きしたのか、少し沈黙した。僕だって自分にドン引きだよ。


何でこんな、こんな――



「…君はマゾなのかい?」

「え、あ…っ」

「僕の気持ちを分かった上で、こんな風にしてさあ」



そう言って、忍野は熱を増したそれを握り締める。



「うああ、あっ」

「こんなに体を震わせて……辛そうだ、そろそろ終わりにしようか」

「あ、あ、あっ…や、ま…っ…………っ!!!」



言うが早いか、手の動きが速まって、僕はどうにもならないそれを吐き出した。


頭の中は真っ白、瞼の中は真っ暗。

痙攣に引き攣る脚先にぬるりと濡れた手が触れた。

すすすと撫でられて、背中が思わず仰け反る。



「ねえ阿良々木くん」



内緒の話をするように耳元に口を近づけた忍野に、僕は反射的に肩を竦めた。

何度か、阿良々木くん?ねえ、と呼ばれ、涙の滲む目を開く。



「…は、はあ…あ…っ」



白い手が白く濡れている様を見せつけられて、僕は顔を歪めた。

忍野は楽しそうに笑っている。



「次くる時は、ここに、入れて下さいって言えるようになってね」

「…――っ!!」



そう言って瞼に押し当てられた唇はいやに冷たくて、さっき熱を吐き出したばかりの僕が、また熱を持ち始めたようだった。



NEXT―――





「…………で?」

「で、とはどういう意味だろうか阿良々木先輩!続きを所望するということか!?」

「神原」



僕は、手にしていた本を閉じ、机の上に置いた。

流石だ阿良々木先輩、話が分かる!と一人興奮する神原を放っておいて、その本の表紙に目を落とす。

静かな色合いの表紙には、タイトルと思しき言葉と成人向けと書かれたロゴが記されていた。


僕は、前の席でこちら側を向く神原に向けて笑みを返した。



「神原」

「何だ、阿良々木先輩!」



神原もそれに負けないぐらいの笑顔を返してくる。



「ふざけるなー!!!!」

「!!!」



女子に手をあげたことは謝ろう。

きっと羽川ならどんな理由があっても女の子を殴るなんて最低だよというだろう、それは僕も重々承知だ、あとで謝ろう、けれど最低だと分かっていてもこの手は止められない。

止められるわけがなかった。



「危ないじゃないか阿良々木先輩!」

「危ないのはお前の方だ!」



思い切り振りおろした拳は、いともたやすく避けられてしまった。


なんてことだ!

やり場のない塊が、僕の中に居座ることになってしまったじゃないか!



「何だこれ!何だよこれ!忍野と…僕!?僕なのか!?何がどうしてこうなったんだ!神原!!僕は僕の人権と行使できうる実力の全てをもってお前に回答を要求する!!」

「落ち着いてくれ阿良々木先輩!!私と戦場ヶ原先輩は至って真面目に…!」

「戦場ヶ原も関わってやがるのか!あいつ、彼氏がこんなことされてて良いのかよ!!」

「監修が戦場ヶ原先輩だ!」

「むしろお望みでしたか!!」



思わず頭を抱えてしまった。

神原は机に置かれた本を手に取り、どうだろうかと口を開いた。



「それでどうだろうか阿良々木先輩。今度のコミケでこの長編版を出そうと思っているのだ!それにあたって阿良々木先輩にも色々と協力を…」

「するかああああああ!!!!!」

「ちなみに忍野さんは快く了解してくれたぞ!」

「………え…?」



そして冒頭部に…――



「戻るわけないだろうがあああ!!」