右腕が燃えるように熱くなったと思ったら、今度は震え上がるほどの寒さが全身を襲った。

次の瞬間には、自分は見上げるようにして、舞織を見ていた。

嗚呼…

「……あ、人識くんですか?お兄ちゃんいますか?」



舞織は携帯を片手に、もう片方の手でスカートを捲くり上げる。



「お兄ちゃん?…うん、実はね」



その露わになった白い太腿にはベルトが巻きついていて、

更にそのベルトにはギラリと光るソレ、チャイナクロス トリプルローイングナイフ スモールが三本差し込まれていた。



「助けに来て欲しいんですよー…っ!と」



手の平に収まるほどの大きさをしたその刃物を、体の捻りを利用して、投げた。


ヒュンッ――ヒュンッ――


鋭利な音が空を切って、


ドッ、ドツッ…


とすぐに鈍い音が二つ、それから小さな呻き声。

それから間もなくして聞こえた、ドサリ… と何かが倒れる音を最後に、また、辺りは静寂を取り戻した。



「それじゃあ、はい、宜しくお願いします」



何をどうと聞く必要は無かった。

その音だけで充分過ぎた。



「うふふ、百発二百中、ですよ」



パタン と携帯を閉じて、軋識を見遣った。



「今、お兄ちゃん達を呼びましたからね」

「……」

「色々聞きたそうな顔してますけど、今は喋っちゃダメですよー。傷口オープンしちゃいますから」

「…でも――」

「どうしてもって言うなら、チューして口塞いじゃいますよー」

「それはそれで――」

「ついでに鼻も塞ぎますからね」

「……」



ピタリ と口を閉じた軋識に、舞織はまた、うふふ と笑ってみせた。



「それはそうと。寝心地はいかがですかー?」

「…」



そこで、漸く気付いた。

下はコンクリのハズなのに、何でこんなにも温かく柔らかい感触が後頭部を包んでいるのか…。



「舞織ちゃんの膝枕は快適でしょう!安眠どころか永眠間違い無しですよ!」

「…」



いや、それはマズイっちゃ と声に出しかけて、危うく口を噤んだ。


舞織はまた微笑む。



「一ヶ月も私をほったらかしておいて、久しぶりの逢瀬に気を取られて殺され掛けたなんて…人識くんが聞いたら笑い死ぬかも知れませんね」

「……」

「お兄ちゃんが聞いたら軋識さんが死ぬかも知れませんね」



丸きり同じ事を考えていた事に苦笑いを零すと、力無い笑みが返って来た。



「死ぬなんて、許さないから」



グッ と唇を噛み締めて、舞織は言った。


感覚のない右腕をあげることはできず、左腕をよろよろとあげる。



「泣くなっちゃ」



涙は流れていない。

けれどまるでそこを伝っているかのように、舞織の頬を、軋識の指がなぞった。



「……ああ…喋ったら、………」



そこで軋識の言葉は飲み込まれた。


唇に、宛がわれた舞織のソレ。

そしてすぐさま、ちゅっ と可愛らしい音を立ててソレが離れていく。



「塞ぐって、言いましたよね」

「もっと塞いでてくれても良かったっちゃ」

「うふふ、二人が着きましたから」



その声が終わると同時に、大きな力が二つ。

音もなく、黒くて長い足と、細っこい生足が現れた。



「おいおいおい、勘弁してくれよ大将、随分元気そうじゃねぇかよ」

「そんな事は無いっちゃ。今、川の向こうで誰かが俺を呼んでるっちゃ」

「誰だか行って確かめて来たら?」

「レンまでそんな事を…」

「優しくされたかったらさっさとそこから退くんだ」

「お兄ちゃん、早かったですね」

「大丈夫かい伊織ちゃん」

「うふふ、軋識さんが庇ってくれましたからわたしは無傷です。だからわたしに免じて優しく扱ってあげて下さいな」

「伊織ちゃんがそう言うのなら…」

「…あー、コレはダメだな。ハンティングダガー21だ、無理にココで抜かない方が良い」



人識は、痛そう… と顔を顰めて呟いた。

他人事を呟く人識に、双識が苦笑いを作りつつ、軋識へと目をやる。



「だってさアス。ちなみに起き上がれるかい?」

「……手ェ貸して欲しいっちゃ」

「うん」



双識の腕に支えられて、軋識はよろめきながら立ち上がる。

軋識の頭がなくなった後、舞織はすっくと立ち上がってスカートに付いた汚れを叩きながら、歩き出した。


肩に腕を回して担がれる際、右腕にその振動が伝わって、重心が揺らぐ。



「大将、ホントに大丈夫か?川、渡っちまうなよ?」



よっ と言って、人識が反対側から軋識を押す形で支える。



「ハッ、馬鹿を言っちゃあいけないっちゃ…」

「人識、もう大丈夫だから、そこのバッド、持ってくれる?」

「おう」

「伊織ちゃん、抜けたー?」



そこで漸く、俯いていた頭を上げて、舞織を探した。

緑のセーラー服は、ちょっと離れた場所で何かをやっていた。



「んんっ、あと1本です…っ」

「バッカ舞織!んな抜き方したら刃がボロッボロになっちまうだろうが!」



うぉい! と怒ってそちらへ赴く人識。

怒りに任せて、持っていたバッドを床に叩き付けた。



「人識、人の事言えないよ」

「ん?んん?…あ、あー…ワリィ大将。」

「…」






夜になって漸く家へと辿り着く。

大の男を一人支え、人目を避けて歩いたのだ、当然と言えば当然だろう。

そして、軋識は三日間、泥のように眠り続けた。