くるりと大きな瞳は愛嬌たっぷり、甘えるような声を出しながら身を寄せてくる。

撫でてやろうと手を伸ばせばついと離れていってしまう気分屋。


コイツを見てると、何だか無性に愛しさが湧き上がってしまって、時を忘れてしまうほどだった。

ねこにかつおぶし、きみにさくらおもい

ざあざあ雨が降り注いでいた。

窓から広がる景色は灰色一色に重く沈み、下に見えるグラウンドにはそこかしこに水溜まりができていた。



「つまり、これらを生成する反応式は2CuOのー…」



ぼんやりと外を眺めていると、時折思い出したように教師の声が右から左の耳へ流れていく。

頬杖ついてノートを記入しているかのように顔を俯ける。


今日の日付を書いたきりの真っ白なノートに、シャープペンで黒い丸を描く。

ぐるぐると手を動かして塗り潰していくうちに、ある事を思い出し、黒い丸の上の方に三角を二つ付け足し、丸の下にも更に形を付け加えていく。



「……なんですか、それ」

「んあ?」



ふわと甘い香りが鼻腔を擽った。

まどろみの中、振ってきた声に首を傾ける。


隣り合わせた机、窓際の自分の席の隣に位置するところに座る少女、無桐伊織だった。


聡明で博学で、大人が将来を期待するこの女は、天才ゆえの異質さなのか、俺から見ればただの変人で。


蛍光灯に光って色を増した瞳が、人識のノートを覗き込んでくる。

不躾ともいえるそれに思わず身を仰け反らせ、ふと目を前へ向ける。


誰かこの女を注意してくれないかと思っての視線だったが、科学の先生は成績の良い生徒に贔屓が過ぎるのだった。

多少のお喋りを咎めるはずもない。


いつもは有り難く思う先生の贔屓を、この時ばかりは恨めしく思う。

俺は、こいつが酷く苦手なのだ。



「零崎くん?これ、何ですか?」

「……なんだと思う」

「んん、………連なったマリモですか?」

「何でそうなるんだよ」



人懐っこい笑みで近づいてくるのに、どうしてか敬語で、何をするにも一線を引いて付き合っているような。

今も向かいでふふと笑う伊織の雰囲気は、静かで、どこか無機質に思えた。



「猫だよ」

「ねこ?…黒猫ですか」

「ああ、帰り道にいるんだよ、こんなちっせえのが」

「わあ、良いですねー、わたしも見てみたいです」



にゃん、と小さく呟いて、黒い小さな猫の隣に何かを描き始める伊織。

おい、それ俺のノートだぞとか、あ、ペンまで俺のじゃねえかとか、先生いい加減つっこめよとか。

ぐるぐる頭の中を巡る言葉は山ほどあったけど、それは喉元まで出かかって突っ掛かってしまう。


ああ息苦しい。



黒い猫の横にさっと描かれた一回り大きな猫。

伊織は笑う。



「今日の帰り、ご一緒しても良いですか?」



俺は答えない。

答えられるはずもない、言葉が喉元で突っ掛かってるのだ。



少し間を置いて呟いた別にいいけどという言葉は、晴れましたねという甘い匂いに掻き消されてしまった。