「なぁ、良いだろ?」

胴欲

チャイムの音を合図に一気に騒がしくなる教室。

礼を待たずに帰宅するもの、残って友人と談笑するもの、大きな荷物を背負って部室へ急ぐもの。

それぞれが思い思いに時を過ごしている放課後。


舞織はドラマの再放送のため、せかせかと階段を駆け下りていた。



「どうしてあの先生の話はいつもあんなに長いんだ」



腕で、チャリ と音を立てた時計に目をやって、ああ後三十分 と眉を顰めた。

そうして階段を三段抜かしで足早に降りて行く。



「舞織!」



後ろから声が聞こえる。


けれど舞織は立ち止まらない。

それどころか更に速く歩く、というよりはもう走っていた。



「あ、テメこら待ちやがれ!今日こそ逃がさねぇぞ!」

「待ってと言って逃がさないと言う、その日本語は不思議極まりないよ零崎くん」

「今は国語の時間じゃねえだろ」

「ああ、嘆かわしい時代」



ダンッ と後ろで大きな音がする。

足を止めずに、チラ と後ろを見遣れば零崎と呼ばれた少年が階段を一気に飛び降りたらしく。


びりり と痺れているだろう足にも構わず、にたり と不敵な笑みを浮かべてこちらに向かって走り出した。



「ひぇ」

「なぁ!」

「今日はドラマの再放送で急いでるんですよう、今日は総一郎と真里子の親権争いの日なので見逃せません」

「昨日もそうだったじゃねえかよ!」

「ドラマの再放送は月曜から金曜毎日やるんですよ、常識です」

「あっそ」



ああ何でわたしのクラスは昇降口から一番離れ奥まった場所にあるのだろう。

いっそあの辺りにも下駄箱を作るべきなんだ、そうだそうだ、明日クラスの人に談議してみようかな。


……あ、でも明日は土曜日か。



「何考えてんの?」

「うおあ!びびびびびっくりした…!」

「俺の事考えてた?」

「今の今まで忘れてたよ」

「ひっで」



でもそゆとこが好きだ と零崎は笑う。

舞織も笑う、わたしは嫌い とハッキリ放って。


いつの間にか追いつかれてしまったらしい、先程まで随分と後ろにいたのに今や昇降口へ走る舞織の隣をがっちりキープしていた。



「なぁ、何でなの?」

「わたしもお聞きしたい、どうして?」

「俺の傍にいてくんないんだよ」
「わたしの事を放っておいてくれないの」

「こんなに息ピッタリじゃねえか俺達」
「相性最悪なのにわたし達」



そうして、はぁ… と溜息が二つ重なる。


足を止めて、舞織は息も乱さずに、くす と笑う。

零崎も足を止めて、ニィ と口元を歪ませる、ぜぇはぁ と苦しそうに。



「一緒に帰るだけなら良いですよ」

「お家にあがって行きませんかってお誘い?」

「断じて違います」

「じゃあ嫌だ」

「それじゃあまた月曜日に」



ざわざわ と昇降口は人がごった返している。

校内全部の学生が通る場所だ、しかも今は帰宅時間ときている。


舞織は小さく会釈して踵を返す。



「やっぱさ」



零崎が、遠のく舞織の手を掴んだ。

跡が残るぐらいにキツく掴んで、引き寄せる。



「あんたが欲しいな、俺」

「わたしは零崎くんなんかいらない」

「そう言うなって、楽しいぜ?俺といたら」

「そうかな?」

「ああ、人生桃色だ」

「あは、桃色かぁ」



桃が食べたいなぁ と舞織は零す。

変わらず掴まれたままの手には眉も顰めずどこか遠くを見つめていた。


零崎はもう片方の手を舞織の顔へと伸ばす。



「なぁ、うんって言ってよ」

「うーん」

「お、マジで?」

「嫌だな」

「じゃあ何でされるがままなんだよ」

「女の悲しい定めですね」



力では敵わない と舞織が笑う、抗うのも面倒ですしね と付け加えた。

やっぱり可愛いなぁ と零崎の指が舞織の唇に触れる。


反抗しないまま、力に流されて、舞織は背を屈めた。


騒がしい校舎の片隅、何をも気にせず誰にも囚われず、ただ卑猥な音が二人の鼓膜を震わせる。



「…は……また、明日な」

「?明日は土曜日ですね」

「だからだろ、デートのお誘いだよ」

「でも昼メロが」

「ビデオでも録っておけって」

「リアタイで見たい」

「ダメだ」

「嫌です」



テレビ大好きっ子らしい舞織に、零崎が今日初めて不快そうに眉を顰めてみせた。

不快 というよりは、ただのヤキモチだったけれど…しかもテレビに。



「ンなわがまま言うとここでえっちな事しちゃうぜ」

「わがままは女の子の特権ですよ」

「男の願いも聞いてやってよ」

「じゃあそろそろ時間なので」

「人の話、聞けよ」



また月曜日に と月曜を強調し、舞織は今日最上の笑みを浮かべた。


そうして掴まれた腕を、グ と内側に向けて、くるり と回す。

ともなれば掴んだ腕は不自然な向きを強いられる、ていうか下手すりゃ折れる。


痛い事は嫌 人間の本能によって零崎の腕は舞織の腕から離れてしまう。



「ばいばい」



しゅばっ と物凄い速さで舞織は人ごみへと消えていった。

残された零崎は、手に残った温もりを見つめ、それから、グ と拳を作る。



ダン……ッ!!!!!



その拳が力任せに壁にぶつけられて響いた音は、人の足と声を止めた。



「……あー、やっぱダメだ」



ぼそ と呟く。

手から流れ出した赤い液体に、きゃあ と悲鳴が上がる。



「絶対欲しいな、アレ」



その手を赤い舌でもって舐め取りながら、零崎は恍惚とした表情で下駄箱より靴を取り出して、消えていった。




名字が零崎で分かりづらいですよね、すみません。お相手は人識です。

「俺達同じ苗字なんだから結婚する運命なんだって」
これを入れたいがためのお話だったんですけど、うっかり忘れてました…