お礼申し上げます


有り難う…

 有り難う…

  本当に 有り難う御座居ます…

感謝

「…誕生日、なんでしょうね」



舞織が不意に笑ってみせた。


言うなれば、聖母マリア。

全てを赦し、全てを包みこむような笑顔。…見た事無いけど…



「なにが?」

「あの女性ですよ」



指す先には女性が一人、足早に歩いていた。


手には見覚えのある白い箱。

近所のケーキ屋の箱だったか…



「…別に、誕生日とは限らないだろ」

「ケーキと一緒に、ロウソクを。それから板チョコに何か書いてもらってましたからね」

「よく見てたな」

「ここの信号長いですからね」



パッ

と、舞織の言葉に慌てたのか、信号が赤から青へと変わった。



「しっかしなぁ」



歩きながら、考える。

誕生日祝いだなんて、馬鹿馬鹿しい。



「バカバカしいとか考えてるんでしょう」

「…あんたエスパーか?」

「人識くんの考えそうな事です」

「嫌な言い方するなよ」

「人識くんがそんな事言うからですよ」



手に持っていた鞄を膝で、バシ と蹴りながら舞織は続けた。



「誕生日はちっともバカバカしくないですよ」

「俺はバッカバカしい以外の何物でも無いと思うぜ」

「どうして」

「たった一つ年を食うだけじゃねぇか。それのどこが目出度いのか、分からないね、俺は」

「捻くれ者」

「何とでも言え」

「あ、」



舞織が歩みを止める。

人識は半歩進んでから、足を止めた。



「…何だよ」

「ちょっと行って来ます。ここで待ってて下さいね」



どこに? と尋ねる間すら与えずに舞織は駆け出していた。

そうして舞織はある店の中へと入っていく。


それは、先程とメーカーさえ違えど、ケーキ屋である事には変わりなかった。













































自動ドアを跨ぐと、ヒヤリとした空気が舞織を包んだ。

店員と目が合う。



「いらっしゃいませ」

「えっと…これ、一つお願いします」



ケーキが並ぶショーウィンドーの中の、苺の乗ったショートケーキの小さめのホールを指した。



「畏まりました。お誕生日ケーキでしょうか?」

「…あ、はい」



本当は誰も誕生日じゃないんですけどね…

舞織は心の中で一人呟いた。


店員は続ける。



「でしたら、ロウソクをお付け致しますね。お祝いのメッセージを添える事も可能ですが…如何致しますか?」

「じゃあ、お願いします」



店員は再び、畏まりました と微笑んでメモ帳を取り出した。



「お誕生日の方のお名前は?」

「人識」

「平仮名で宜しいですか?…ではメッセージは何とお書きいたしましょうか?」




『俺はバッカバカしい以外の何物でも無いと思うぜ』

『たった一つ、年を食うだけじゃねぇか。それのどこが目出度いのか、分かんないね、俺は』




「…お客様?」



不意に心配そうな声がかかって、舞織は慌てて顔を上げた。

言葉は、決まってる。



「…じゃあ…」


* * *


その店から、ぱたぱた と走ってくる。

転ぶんじゃないか? なんて一瞬、口元が緩んだけれど…



「お待たせしまして…」

「遅い」

「ごめんなさい」

「…何に対して謝っている?遅くなった事に?それとも俺が嫌だと言ったケーキを買ってきた事に?」

「遅くなった事にですよ」

「ケーキを買った事は謝らないのか」

「謝りません。寧ろ、人識くんが詫びるべきです」



舞織はそう言って、再び歩き出す。

人識は眉を顰めた。



「どういう意味だよ。何で俺があんたに詫びる必要がある」

「わたしにじゃありません。生んでくれたお母さんにです」

「ハァ?」



意味が分からないと益々眉を顰める人識を他所に、舞織は、きゅ と唇を噛み締めた。


女と言う生き物は大変面倒臭い。


思い悩むとすぐに泣き出す。

頭の中で試行錯誤してすぐに泣き出す。

行き詰ってすぐに泣き出す。


舞織の場合は面倒というよりも、泣いて欲しくないという感情が上回るのだけれど

これは絶対に言ってやらない。


と、舞織はケーキを鞄の持つ手に持たせて、空いた手を人識の方へと差し出した。



「何?繋ぎたいの?」



舞織は無言の後、小さく頷く。

人識は小さな溜息を吐いて、舞織の手を引っ掴むようにして取って、再び歩き出した。



「ほら、行くぞ」



俺ってつくづく甘い… と人識は一人、心の中でゴチた。



「…た、誕生日は特別なんです」



歩きながら半歩後ろ、俯いて、舞織は、ぽつぽつ と言葉を並べる。

人識は、繋がった手をそのままに、無言で聞く。



「人識くんが今こうして息をして、ここにいて、こういう風にできる確率って、とても低いと思うんです」



「生まれてくる事も、出会う事も…偶然に偶然が重なって、きっと偶然は運命で…」



舞織はそこで息を吐いた。

何が言いたいのか自分でも纏めぬうちに言葉にしてしまったらしく、もどかしさに涙が滲んでいる事を人識は知らない。



「わたしは、人識くんに出会えて嬉しい。出会えて倖せ者です」



ぽた



「偶然で、けどそれはきっと運命で…」



ぽたり ぽたり



「わたしは、その運命に感謝してます」



ぽたり ぽたり ぽたり



「人識くんが生まれてくれた日に、生まれてきてくれた事に、生んでくれたお母さんに、わたしは感謝します」



ザアアアアァァアァ――――



「感謝とお礼を込めて、お祝いしてあげたいって、思うんです」



雨が降り出した。


人々は、立ち止まったまま動かない舞織と人識を一瞥、訝しんで。

それでも突然の雨に追いやられて誰も彼もが走り去っていった。


舞織の瞳は人識を捉えている。


頬を濡らしているのは、果たして雨なのか涙なのか、人識には判別つかなかった。

つかなかったけれど…



「って、わたし、自分でも自分が何言ってるんだか――」

「うん」

「……え?」



突然の頷きに舞織は首を傾げた。

続きを促すように見遣ると、人識は、ふ と笑ってみせた。



「そんな考え方ができるとは、思わなかった…」

「人識く…」

「そうかそうか。うん、そうだな、そう考えると誕生日も悪くないな…」



天を仰ぐ。

雨が目に入って痛い。


顔を戻すと、舞織が自分と同じように空を見上げていた。


舞織がコチラに気付いたのか、ぱち と視線が合う。


何だろう…意味も無く、笑いが込み上げてくる。

嬉しいのか楽しいのか可笑しいのか、さっぱり分からない。

分からないままでも構わなかった。


人識は、ニヤリ とほくそ笑んだ。



「?」

「走るぞ!」

「えっ、ちょ…待…っ」



舞織の静止も聞かず、人識は駆け出した。

こんな大雨の中、一定の速度も緩めずに全速力だなんて、昔の青春ドラマでなければお目に掛かれないだろう。


ケーキも、カバンも、服もみんな、きっとビッショリだ。


それでも構わなかった。



こんなに清々しいのは久しぶりだと、人識は知らず知らずに微笑んでいた。


* * *


「…二人とも、大丈夫?」

「…ん、ぜんぜ、へ、き…っ」

「なわけ、ないじゃないですかあ…っ」



へたり と玄関先で倒れた舞織に、双識は風呂場よりバスタオルを持って来る。

舞織を包み込んで、人識にも手渡して。


風呂を入れるから入りなさい と一言残して風呂場を洗いに行ってしまう。



「なぁ、舞織」

「…な んですか?」

「きっとケーキ、ぐっちゃんぐっちゃんだぜ?」

「…誰のせいですか」

「雨のせい」



もう… と舞織はタオルでびっしょりに濡れた髪を拭いた。



「…何て書いてもらったんだ?」

「え?…て、うわっ!人識くん、近い近いっ」



ゴシゴシ と拭いていたせいか、声が聞き取りづらい。


閉じていた瞳を開けると、目と鼻の先に人識の顔があった。

慌てて身を引けば、後ろの壁に激突した。



「どうせぐっちゃんぐっちゃんで読めなくなってんだろうからさ。俺宛だろ?何て書いたんだよ」

「人識くん宛だなんて一言も…」

「違うのか?」

「違わないけど…ああもう、近いんですってば、人識くん!」



壁に身を預ける舞織の頬は赤い。

先程と違い、それが恥ずかしさからきている事ぐらいは分かった。


クッ と喉の奥で笑って、鼻と鼻を擦り合わせた。



「良いだろ、別に。それより、ほら、言えよ」

「っい、嫌ですっ」

「言わないと一緒に風呂入るぞ」

「そ、それも嫌ですっ」

「どうせ見られるんだったんだぜ?言えよ」

「見るのと言うのは、月とスッポンほどの違いがあります」

「そんな違い、関係ない」

「だから近いんですってばあ…っ」

「ほらー、早くしねえとチューしちまうぞー」

「うなあ」



ざぱー

そんな音が聞こえた気がした。



「…お前ら、何してるっちゃ」

「た、助けて!軋識さんっ」

「…チッ」



トイレに入っていたのか、軋識が眉を寄せて人識と舞織を見遣った。

舞織は人識の脇をすり抜けて軋識の方へと走った。



「何でも良いから早く風呂に入れっちゃ。風邪引く」

「はぁい」

「…舞織」

「なっ、何ですか?!」

「先入れ。俺は後で良い」

「わ、分かりました」



そんな言葉が小さく聞こえて階段を上る音が聞こえる。

聞けず仕舞いか…と小さく息を吐いた。



「…………さってと…大将でもイジメてくっかな」



バタバタバタッ



「生まれてきてくれてありがとう!そう書いたんですっ」



バタバタバタッバタンッ!!!!



「………………………………あ、そう」



一瞬の出来事に、何が何だか分からない。

パチパチ と数度目を瞬いて、リビングのドアを開けた。



「…ん?人識、風邪でも引いたっちゃか?」

「どう して」

「顔が赤いっちゃ」

「……二階から、着替え持って来る」

「んー」



リビングのドアを閉めて、風呂場へ繋がる扉の前へ立つ。

ノックしようと手を上げて、そのまま下ろした。コツ… とドアに額を預ける。



「舞織…俺も、そう思ってるぜ」



確かに口に出すと恥ずかしいな… と人識は笑いながら二階へと上がって行った。



「……恥ずかしい」



ドアの向こう側、嬉し気に頬を染める舞織がいるとも知らずに。










「何だこのケーキは」

「さぁ?伊織ちゃんが買ってきたみたい」

「ぐちゃぐちゃだっちゃ」

「今日って誰か誕生日だっけ?」

「…さぁ?」




蟻喰様のお誕生日お祝いです。
捧げます、おめでとうございます、大好きです。