「本当に一人で、電車で行くの?」

「大丈夫ですよ、それより。人識くんは?」

「まだ寝てると思うよ」

「痴漢って、帰りに多いらしいから、気を付けて帰ってきてね」

「はぁい、何かあったら電話しますね。行ってきます」

いつだって

本当は今日の朝、人識に謝ろうと思ってた。

よくよく考えて見れば人識のいう事は一理あるのだろうし、自分を心配しての言葉だったろうから。

けれど人識が午前中に起きるはずも無く。


舞織はとぼとぼと電車に乗り込んだ。



人識のいう事が実現したら…という舞織の不安をよそに、ラッシュ内で痴漢に遭遇する事はなかった。


やはり、昨日は偶然で、そう何度も何度もあるわけでは無いのだ。



「やっぱり心配し過ぎだったんですよう」



ほぅ と小さな安堵の息を吐いて、舞織は学校の正門をくぐった。










「?どうしたんですか?」



教室に入ると、その一角に女子の人だかりができていた。

席が近い女子に何事かと尋ねた。



「あ、零崎さんおはよう」

「うん、どうしたんですか?」

「ああ、ほら。この間の。痴漢にパンツん中、手ェ突っ込まれたっていう子ー」

「もしかしてまた遭ったんですか?」

「違う違うー。その事彼氏に相談したらもう付き会えないってふられたんだってー。最悪な男だよねー」

「ふぅん…」



「でもさぁ、やっぱ穢れたー、とか思っちゃうんかねー」

「…穢れた?」

「だってさー、自分以外の男、しかもおっさん?に触られたヤツなんかと付き合えるかーって話って事でしょー?」

「あー、だよねぇ?男って自分以外の男が自分の女に触れると一気に冷めるらしいねえ」

「愛が足りねぇー!慰めて欲しいのに傷付けてどうすんだって話だよなー」

「きゃはははっ」



そうして騒ぎ出す女子を他所に、舞織はボンヤリと考えた。



わたしも触られちゃったら、フラれちゃうのかな…


………


嫌な考えを払拭するように首を振った。


人識くんはそんな人間じゃない はず。





そんな事を黙々と考えていたら日はあっという間に傾いた。





ホームで電車を待つ頃には、もう思考は違うところへ向いていて、痴漢の事などすっかり忘れていた。



『間もなくー、――番線に、電車が参ります、白線の内側まで――…』



「…っうっ わ、ぁっ」



先頭にボンヤリと立っていた舞織は、ドアが開いた途端に出てくる人の波に押され、今度は入る人の波に押された。


いつも通り、ドア付近の位置を確保して、小さく息を吐いた。



いつもより人が多い。



「……」



ふと忘れていた痴漢の事が脳裏を掠めて、舞織は、ブルブル と首を振る。

けれど一度思い出してしまえば、あとは雪崩れるままに引きずり込まれていくのが人間というもの。



「……ッッ!!」



瞬間、身の毛の弥立つ、ゾクリとした、感覚。



なんてナイスタイミング! じゃなくって!!


二日連続痴漢に遭うとはついてない…

ガクリと項垂れるのをグッと堪えて、前を向いた。



その手は、ゆるりゆるりと舞織の尻をスカート越しに撫でていた。



「ッ…ゃ………ッッ!!」



叫ぼう、まさにそうしようとした瞬間。

見計らったかのように、スカートの裾が持ち上がる。


思わず端っこを引っ張るが、到底敵わない。



「……う そ、ッ!!」





『今日は触られただけだったかもしんねぇけど、全員が全員そんな気弱なおっさんとは限んねぇんだぞ』


『ああそうかよ分かったよ!勝手にしろ!痛い目見ても知らねえからな!!』





ふっ と人識の言った言葉が蘇る。


じわじわ と涙が溢れた。



そう、いつだって人識くんは正しい。

そして自分は、それに気付くのが、いつだって遅い。


変な意地なんか張らずに、やはりついてきてもらうべきだった。



つっ… といやらしく這う指先が、舞織の太腿の付け根を通り、下着へと掠めた瞬間だった。



「ひとしきく…ッ」

「うん、…遅くなった」



ギュウと閉じた瞼に、何かが触れる。


今の言葉は、幻聴?

今の感触は、幻?



「…俺のに手ェ出してんじゃねぇよ」



今度はハッキリと聞こえたソレに、ゆっくりと瞳を開ける。


滲んだ視界には、わたしを隠す形で、人識くんが立っていた。

人識の手が、その男の手首を締め上げている。


まだ震えている手でソッと背中に触れる。

幻じゃなかった。


ボロボロ と涙が零れた。



「ひ、ひと…しきく、…わ、わたし…っ」

「ああ。分ぁってる」



駅がホームへと停車する。


隙を付いて、その男は人識の手を渾身の力を込めて振り払い、脱兎の如く逃げていった。



「あンのやろ…」

「いいっ、良いから!」

「よかねぇよ!アイツは!――」


「人識、私達が行こう」

「お、お兄ちゃん!!?」

「大将も…連れてこられたのか」

「何も言うな、こうなるとレンは手が付けられないっちゃ」

「あ、あのお兄ちゃん?」

「…殺すなんて生温い事はしない」

「「……」」

「心配するな、何の為に俺がいると思う」



そうして双識と軋識はその駅で降りていった。



電車が再び出発する。


ざわめきはあっという間に静まり、元の静かな車内へと戻った。



「…犯人は大丈夫ですかね」



ポツリ と舞織が吐いた言葉に、人識はググッと眉を持ち上げた。



「テメ、…この後に及んでまだ相手の心配かよ!」

「すっすみませ」

「ふざけんなよ」



そう言って人識は舞織をギュウと抱き締めた。



「あの、人識くん、ここは公共の…」

「うるせぇよ」

「ごめんなさい」



許さねー と一言呟いて人識は更に舞織をきつく抱き締めた。

温かいソレは、不安だった舞織の心を一気に溶かした。

ゆっくりと背に手を回すと、不意に人識が話し掛けて来た。



「…なぁ、どこ触られた」

「…え?」



ふとした質問に舞織はビクリと肩を竦ませる。





『だってさー、自分以外の男、しかもおっさん?に触られたヤツなんかと付き合えるかーって話って事でしょー?』


『あー、分かる分かるー。男って自分以外の男が自分の女に触れると一気に冷めるらしいねえ』





朝のクラスメイトの会話が蘇る。



「あ、の…」

「んだよ。言えないとこ触られたのかよ」

「…ちが、う、けど…あの」

「どの辺り?」

「ちょ、人識くんっ!?」

「騒ぐとバレちまうぞー」

「っ…」



人識は舞織を抱いたまま、その手を太腿へと移動させる。



「ここは?」

「…っ、すこし、だけ」

「どんな風に?」

「撫でる、カンジ。…ちょ、人識くんっ、っぁ」

「感じたりはしてないだろうな」



その言葉にカチンときた。

体を離して睨みつけた。



「あ、当たり前ですよ!!」

「うん」

「んっ、…ちょ、ひとしきく…っ」

「あとは?スカートの中とか」

「やっ ひとっ、…っひ、ぁっそこは触られてな…っ」

「確かめてみようぜ」

「ゃっ やっ…ぁ、ンッ」


* * *


「あ、人識お帰り、遅かったね。…アレ、伊織ちゃんは?」



ガチャリ とリビングを開けると。晴れやかな双識と、ぐったりした軋識の姿があった。

何があったのか、聞かなくても、大体想像が付いた。



「ん、二人して寝ちまって終電まで行っちゃってさ〜。舞織は部屋。そっちは?」

「相手を生かしたまま駅員に手渡すのに苦労したっちゃ」

「ああ、…大将、お疲れ。…つか、兄貴たちも乗り込んでるとは思わなかったぜ」

「うふふ、制裁制裁♪」

「…」



そうしてリビングを閉めて玄関へ。

玄関先には軋識よりもぐったりとした舞織がいた。



「ほら、起きろ。部屋で続きすんぞ」

「えぇー、もう無理ですよう」

「良いから。消毒っつーのは念入りにしとくもんなんだよ」

「うなー」



そんな弾んだ声で人識は舞織を担いで二階へと上がった。


夜にはまだ程遠い。



嫌われる心配は無くなったが、果たしてどれほどの消毒をさせられる事か。

考えただけで眩暈がした。










次の日から自転車が直るまでの間

双識の自転車に跨った人識が舞織を送り迎えするようになったのはまた別の話。




10000HIT抽選フリー小説として蟻喰様へ捧げたものです。
この日の夜の情事も書いてみました。(02/20)

※蟻喰さまのみお持ち帰り可です。