舞織の耳に、ピンポン と音がした。

それは間違いなく玄関の方からした音で、空耳でもなければ隣家へのものでもない。


自宅に用のある者が鳴らしたソレと同じ音だと、舞織は認識し、おもむろにソファから体を起こした。


とたた と足取り軽くリビングを後にする舞織に、同じくしてリビングで各々寛いでいた三人はぼんやりとした思考の中で、どこへ行くのだろうと考える。

トイレだろうか、二階に用事かもしれない、キッチンに行くようなら何か飲み物を持ってきてもらおう等々、それぞれが勝手に舞織の行動の行く末を予測する。


そして三人全ての予測がはずれるという事は、この数秒後すぐにでも明らかになることだった。



「はあい、どちらさまですか?」

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ソファに腰を下ろしてそれぞれに寛いでいた三人が顔を見合わせる。

我が妹は一体何をしているのか、三人は目で会話を二、三交わし、結果、舞織の出て行ったリビングから玄関へ通じるドアへと顔を覗かせることで事実確認を行う。



「おや」

「んん?」

「あー……」



三者三様、微妙な表情をする人識と、現実を疑う眼差しの軋識と、珍しい来客に驚く双識と。

後ろから覗かれている事に気付くこともなく、舞織はドアを開けた先にいた青年を仰ぎ見る。



「ええと、ううんと、」

「お前が零崎舞織か」

「ああ、うう、は、はい。…あなたが零崎曲識さんですね」

「そうだ、僕が零崎曲識だ」



水色の空をバックに、色の濃い髪を後ろに結わえた曲識と名乗った青年は、小さく頷いた。

長く長く伸びた髪がさらりと揺れる。

綺麗にアイロンがけされた燕尾服の袖が、舞織の前へ差し出された。


舞織はドアノブを握っていた手をどかし、ドアを体、肩で押したまま、その体制を維持する。

手を服でごしごしと拭い、舞織も長い袖の裾を捲り、手を差し出した。手首からまるきり色も形も違う手が生えている。



「うん、悪くない」

「ですか」

「……レン、アス…人識も。久しぶりだな」



二度三度、ゆっくり握手を交わし、曲識はまた小さく頷いた。

舞織は首を傾げ、悪くない…良くもないですかとぽつりと零す。


曲識はそんな舞織を特に気にした風もなく、視線を舞織から外し、その向こうを見遣る。

その際、体でドアを押していた舞織の肩を引いて、代わりに自分の手をドアへと押して、閉じてしまうのを防ぐ。


その所作が何とも自然、かつ優雅で、舞織は思わず頬を赤く染めた。



「やあやあやあ!どうしたんだい、トキ!珍しいじゃないかうちに来るなんて、君がねえ。いやいや、どうしたとは聞いたけれども別に責めてるわけじゃあないんだぞ。 理由など些細なことだ、あったところでないようなものだからね。今はいいさ、ただ君がここへ来てくれた喜びを家族で分かち合い、共にしようじゃないか。本当は 思い切り抱きしめたいほど嬉しいんだよ、トキ」

「変わらずだな」

「…で、何できたっちゃ」

「この少女が、僕の条件に合っていると噂で聞いたので。興味があってきたんだ」

「で、どうだったんだよ」

「悪くない」

「でも伊織ちゃんは家族だからね」

「それは知っている、問題はない」

「というわけで、お鍋をしませんか?」



玄関に五人、うち二人は背が小さめとはいえ、五人全員が細身であるとはいえ、玄関は玄関。人の溜まる場所ではない。

やあやあと三人が玄関へやってきてしまうものだから、舞織は玄関先に立つことはおろか、曲識の肩に支えられ、立っているようなもの。

それに気付かないとして、どうしてなぜに鍋なんだと、人識と軋識が眉を顰めた。口を開こうとする、ツッコミは、大事だ。



「それはいいね!ナイスアイディアだ伊織ちゃん!」

「うふ、そうでしょうそうでしょう。曲識さんはお肉は食べられますか?」

「…」

「それは正座が苦手な人に一日中強いて、かつその後今すぐグラウンドに十周全速力でして来いと言っているようなものだよ伊織ちゃん」

「殺されますね!ではでは曲識さん」

「何だ」

「お野菜を一緒に買いにゆきましょう」



それはナイスだ!と双識は嬉しそうに声を張り上げて、まるで歌うようにして玄関から姿を消し、またすぐさま戻ってくる。



「はい、お財布」

「ありがとうございます、お菓子も買ってよいですかー?」

「よいですよよいですよ、その中身使い果たしてきちゃって」

「ちょっと待て、その財布、どこかで見覚えがあるのは気のせいっちゃか」

「ほら前は急げ思い立ったが既成事実、じゃなくて吉日。暗くなる前に帰っておいで」



嬉しそうな双識、曲識の腕を引く舞織もどこか楽しそう。

相も変わらず人の話を聞かない、というよりは、人の話などどうでもいいと行った風。

そんな人間が二人に増えたのだなと曲識は思う。


横で喚く軋識と、最早他に興味を持っていかれてしまったのか、玄関から姿を消した人識と。


それをぼんやりと見遣って、曲識は呟いた。



「悪くない」

「ここに住むのがですね、わたしも大歓迎ですよ」

「本当かい!?ああよかった!トキには帰る場所も戻る場所もないのだからね!そうさ、家族なのだから遠慮も気遣いも無用の長物、ああいや、君の楽器は有用であるよ、心配しないでくれたまえ。 家族が昼夜を共にするのは当たり前のことだからね、大歓迎だよ、どころか」



双識は、ふと微笑む。



「行ってらっしゃい、と言ってあげよう。もちろん帰ってきたらお帰り、君はただいまと言うんだ。分かったね」

「悪くない」

「うんうん、じゃあ行ってらっしゃい」

「はあい、行ってきます!」

「行ってくる」



燕尾服と女子高生。

違和感の塊であるような滑稽な二人であるが、ああそれでも、双識と軋識にはまるで、それが長い間傍にいた共に暮らした家族の後姿のように見えた。


手を振って二人を送り出したところで、双識はそういえばと切り出した。

隣にいた軋識が、散らかってしまった靴を整える手を止める。



「なんだっちゃ」

「伊織ちゃんはどうしてトキがきたって分かったんだろうね」

「…俺達の場合は、大体だの何となくだの、アバウトな割に明確なもんがあるっちゃからなあ」

「それにしたって伊織ちゃんだけ気付くのはおかしいねえ」

「だな、何かに反応した顔つきだったしな」



玄関のドアを閉め、リビングへと戻ってくる。

人識が冷蔵庫から取り出したのだろう、とろりととろけるもものはちみつと文字だけで吐き気さえも催しかねない一リットルパックの飲み物を開けて、飲んでいた。


双識がふふと笑う。



「トキのやつ、もしかしたら腕を上げたのかもしれないぞ」

「例えば?」

「そう、例えば」



「あのインターフォンの音は、曲識さんが言ったものですね」

「ああ」



やっぱり、と舞織は笑う。

よく笑う子だ、と曲識は思う。そして、つくづく条件を満たしている子だ、とも。


喉が、疼いてしまって仕方がない。



「曲識さんの事も、お兄ちゃんって呼べるようになりたいですね」

「別になんだって構わない」

「そうはいきませんよ、家族ですからね、家族は大事です、何だってなんてことはありませんよ」

「…悪くはない」

「ですよね」



うふふと笑う舞織。

腕を引くその腕はひやりと冷たい、いや、ちりりと熱いのだろうか。



「いいですよ、殺したくなったらいつでも」

「分かっていたのか」

「そりゃあね、向けられた殺気を感じ取るぐらいはできるようになりましたよ」



曲がりなりにも零崎です、と舞織は続ける。



「音を操る、っていうのもすごく興味あります、音楽は苦手だけど音楽は大好きです」

「ほう」

「ぜひ、今度一緒に演奏会しましょうね」

「ああ」

「全身全霊本気でお願いしますよ、お兄ちゃん」

「ああ」



さあて何を買いましょう、青物が好きですか?緑黄色野菜ですか?と問う舞織はどこか楽しそうで。

今にも歌い出しそうで。



「悪くない」



曲識は思う、そう、思い、静かに微笑した。