「……にがい…」

「文句言うなら食うなっちゃ」

「とんだ鬼畜さんだね、アス」

「…嫌なら自分で作れ」



もそもそと、黒く焦げた、苦い匂いと苦い味ばかりを広げる、焼きそばらしきもの。

それを口に含みながら、人識は眉を顰め、双識は一本ずつ咀嚼して、軋識は水と一緒に流し込んでいく。


焼きそばの苦さ云々さておいて、どうも心が落ち着かない。

それは机を囲むこの二人も一緒のようで、先程から玄関の方へと視線が行き来する。



「ねえ」
「なあ」



人識と双識の言葉がぶつかった。軋識が苦笑いを浮かべる。



「あいつも今日から零崎ってことで」

「アスの苦い料理でもっての持て成しは酷かもしれないけれど」

「ほっとけっちゃ。でも、…呼びに行くか」



母以外の女、というのは、どうも苦手だった。

豪快な母を持ったせいもあるかもしれない、初対面で既に涙を見せていた少女に、男三人はついつい身構えてしまった。


けれど尊敬する母が持って…いや、連れてきたのであれば、きっと少女は自分達に似て、自分達とは違って、大変愛しい存在になるのだろう。

それぞれに箸とフォークを机へ置いて、玄関へと顔を覗かせる。



「……あ」

「あれ」

「…いねえし」



やっぱり零崎なのだろうか…

一人しくしくと泣いているような気弱な少女というわけではないらしい。

その少女零崎につき

小さな体が、悲鳴を上げる。


真っ暗で前も後ろも分からない

喉が焼けるように痛い、足がもつれる、風が身を身を切るように冷たくて痛い


つらい、つらい、いたい、かなしい、こわい


でも走らなくちゃ


そう思った瞬間に、足が絡まる。

危ないと思う間もなく、視界が回る。

盛大な砂煙と、膝と肘への痛み、舞った砂ぼこりに、むせかえる。



「う、うう」



『あんた、一人って感じだね』



こんな時だった、こんな風に心の中が負でいっぱいの時に、そんな言葉を掛けられた。

やけに能天気で、それでいて問い掛けるような、女性の声。


見上げた先にあった表情は、今まで見てきた何よりも綺麗で、美しくて…



『一人なんだろう、うちにおいで』



ぼんやりした意識をハッとさせ、逃げようとした先に、足が地から浮いた。

自分を抱き締めたのは、穏やかな顔をした男性、美しさと儚さと、世界を捨てたような冷たい瞳の…




はあと吐く息は白い。



「あのこ、いまごろどっかでこごえてっかなあ」



白い耳当てが、暗い闇にぼんやりと浮かぶ。

それが忙しなく揺れる、白い耳当てに馴染んだ色素の薄い髪も、一緒になって揺れていた。

頬の痛みに眉を顰め、人識は右の細道に目を凝らしながら呟いた。

隣、少し前を走る軋識が後ろを振り返る。



「不吉なことを言うなっちゃ」

「ここ最近一気に冷え込んできたからね、誰かが手を差し伸べてあげないから」



やれやれといった風に、軋識の後ろから声が聞こえる。

振り返る、が、辺りは暗闇。目を凝らせば漸く見える、双識の姿に、軋識は肩を竦めた。

黒髪に黒いコートを羽織った双識は、寒そうに身を縮込めた。



「待て、どうして俺のせいになってるんだっちゃ」

「誰もアスのせいだなんて言ってないよ、そう思うってことは思い当たる節があるってことなのかな」

「そうだぞ、だれかがやきそばこがすからー」

「それも俺のせいっちゃか」

「ちがうのか?」
「ちがうのかい?」

「ち、ちが…うよな?」



二対一、多勢に無勢とは言わないが、どうも分が悪い。

軋識は俺は悪くないっちゃと呟いて、また前を向く。


この先には確か、小さな公園があったはずだ、そこにいるような気がして、足を速める。



「このさきって…」

「そうだね、公園。
においでもしたのかな」

「かもなっ、かはっ」

「聞こえてるっちゃ」



夜も更ける時間帯に騒ぐのは近所迷惑極まりないが、この騒ぎをあの少女が耳に入れて、自分から出てきてはくれないだろうかと軋識はそんな考えを巡らせる。

公園の入り口、小さな塊が、ぱちぱちと点滅を続ける街灯に照らされていた。


いた、と人識が呟くと、塊は揺れ、その身を動かした。


くるりと大きな瞳は濡れて揺れて、短い髪が風に揺られ、赤い耳をびゅうびゅうと冷やしていた。

幼い少女が、一人立っていた、それは…三人の中で、何かを思い出させる。



「…帰るっちゃ」



ぶっきらぼうに、軋識が言葉を吐く。

伸ばされた手に、少女が身を引いた。首を振る。


軋識の後ろにいた、人識と双識が顔を見合せた。



「なあ、あんたもぜろざきなんだろ、だったらおれたちのかぞくだよ」

「さっきは、振り払ってごめんね。一緒に帰ろう」



三人に、目も合わせられず、少女はたじろいで、それから顔をあげた。



「わたしはぜろざきかもしれないけれど」



恐ろしいほど小さな声、けれど、恐ろしいほど耳に響く声。

お、喋った、と口を挟んだ人識を殴って、軋識が先を促す。



「あの人はママと呼んで良いと言ったけれど」



『ここに住むのよ、舞織』

『お腹いっぱいご飯を食べて温かいお風呂に入って腹が捩れるほど笑い合おう、 幸せな夢を見られるまで傍にいてあげる、目が覚めたら、きっと世界が変わっているから…』



「わたしには、そんなかんたんに世界が変わるとは思えません、変わるとしても…わたしにそんな、価値は…権利は…」



何があったんだろうか…

こんな小さい身に、精一杯抱え込まなければならない、何があったんだろうか…


自分にあったような事が…人識や、双識にも、何かがあったように、この子にも。



「おやじ、いってなかった?」

「だれにでもしあわせになるけんりがあって、かちがあるんだよって。それをみつけてもらえずにおわっちゃうこもいるけど ぼくたちがみつけてあげたから…もういいんだよって」

「おふくろは、かちとかけんりとか、そんなものにどんないみがあるんだっておこってたけどな」



軋識は、歩みを進め、後退さる少女の手を掴んだ。



「馬鹿馬鹿しい。母さん達がお前を家賊にするといったなら、もう家賊なんだっちゃ。拒否権はない」

「アス、言い方が乱暴だよ。相手は女の子だ、怖がらせちゃダメだよ」

「べ、別に怖がらせてるわけじゃ…」



双識が、少女の手を掴む軋識の手を解いた。

長身を屈め、少女の手を包み込む。



「母さんは、こうも言っていなかったかい?」

「…」

「もう、いいんだよ って」



みるみるうちに少女の瞳に大粒に涙が溜まっていく。

双識は、包み込んでいた手を離し、両手を広げる。


少女は顔を歪め、それから倒れ込むように、双識の肩に顔を埋めた。



「…君の名前は…?」

「………まいおり…」

「名字は何だい、舞織ちゃん」

「………ぜろざき、です…」

「よくできました!」



震えるような小さな嗚咽は、先程よりも強く、耳に響いていった。