輪郭 5
コツコツとノック



「ヨーンサッ」



返事する間も与えずにノックと共にくぐもった声。



「なに、ユ…ン…って、ちょっと!」



何の許可なしに、ガラリとドアが開けられてしまった。
輪郭
「何でもう脱いでるのさ」

「えへ」

「えへ、じゃないでしょ」



はぁと溜息を一つ。



ぴちゃりと水滴が髪を伝って、湯船へと跳ねた。

額に張り付いた前髪を、英士は眉を顰め、ウザったそうにして掻き揚げた。



「……いつまでそこにいるのさ寒いからとっとと閉めて欲しいんだけど」

「え、あ…うん…入っても良いの?」

「…入る気だったんじゃないの?」

「イヤ…入る気だったけどさ…」

「入りたくないなら早く出て。風邪引くよ」

「ああ、入りますっ入りますっ」



斯くして何の衝突も無くして、逆に訝しんでしまうほどすんなりと浴室入室許可が下りた潤慶は、現在、髪を洗っている。

シャンプーが目に入らないように閉じていた瞳を、そろりと開ける。

そうして気付かれない程度に、英士の顔を覗き見れば確かに…あまり顔色が良くなかった。



「…ヨン」

「潤慶」

「うん?」

「…昔、さ……」

「昔?いつ頃の事?」

「…あ、…イヤ……何でもない…」

「そう」

「ユンは?…なに?」

「…えっ、…あー……いや、うん…僕も、…大した用じゃないから」



気にしないでといつもなら消え入る小さな呟きも、浴室では反響されて大きく響いた。


再び、シャンプーの泡立てに入った潤慶を眺めながら、英士は呼吸ほどの小さな溜息を付いた。

自分は一体何を言おうというのだ。


今更、覚えているかも分からないのに、わざわざ愚かだった頃を掘り起こして、何をしようと…


英士は眉を顰め、落ちてきた前髪を乱雑に掻き揚げた。



「髪」

「…え?」

「髪、そんな風な顔するなら切れば良いのに」

「別に、それほどじゃないから、いい」

「あっそう」



こちらを見遣り、目を細めて笑う潤慶に、反応が遅れる。

いつから見ていたのだとか、そんな顔するなとか…英士は、ふいと顔を背けた。



「…はぁ…」

「…?何か言ったー?」

「何も!」



シャワーのコックを勢いよく捻り出す。

排水溝へと流れていく泡とお湯をぼんやりと眺めていると、不意にソレがブレて見えた。


頭を振って、目を細めてもう一度。

今度ははっきりと、見えた。


のぼせたのかなと英士が思案していると、縁に置かれている手を叩かれた。



「なに」

「入っても良い?」

「好きにすれば」

「アリガトー」



溢れ零れていくお湯を見ていると、グイと引っ張られた。



「ユン…」

「ヨンサさぁ」



いつもならすんなりとやめてくれる、その咎める声も、どうしてか今だけは受け入れられそうにない。


息苦しいのは、酸素が足りないからなのかのぼせてしまったからなのか、抱き締められているからなのか…



「ちゃんとご飯食べてる?」

「………は?」

「睡眠も、とってる?」

「…ちょっと、ユン?」

「お母さんが、心配してるよ」

「………大丈夫だよ。食べてるし、ちゃんと寝てるよ」



唐突の質問に、母の顔がほんやりと浮かんできた。

落胆している自分を吐き出すように、大きく溜息を付いた。



「どうせ頼まれたんでしょ。大丈夫だよ」

「大丈夫じゃないよ」

「ッ、ちょ…っ」

「顔色だって、よくない」



体を反転させられ、英士のストップの声も空しく、向かい合うような体勢にさせられてしまう。

両手で頬をがっちりと押さえられ、顔を覗き込まれる。


近づいてくるその自分によく似た顔に、思わず目を瞑れば、コツリと額が合わさった。



「………」

「…ヨンサ…?……あ、まさか」



動かなくなってしまった英士に、潤慶は首を傾げ、それから思いついたように微笑んだ。

ちゅう



「…こういうの、期待しちゃった?」



無防備なその唇に、自分のソレを軽く重ねて、覗き込めば、みるみるうちに、顔が赤くなった。



「ッ、な、……っ違うっ!離せ、ユン…っう、んっ」



振り払おうとするその手を掴んで壁に押し付けて、逃れようと振る顔にも構わず、潤慶は、英士の唇を深く深く貪る。

苦しさに開かれたところに、舌を挿し入れて、口内を余すところなく、堪能した。



「泣かないで、ヨンサ」

「…触るな、バカ」



唇を離せば、生理的なものなのか感情的なものなのか、ほろほろと涙が零れた。

指で拭って、舌を這わせて。


頬を撫でれば、悔しげに睨まれてしまう。



「そんな顔してもダメだよー。寧ろ逆効果」

「…どんな顔だよ…もう、いい。出るから…離して…」



どんな顔って…そりゃあ…

涙に潤んだ瞳で、

熱さからか恥ずかしさから赤く染まった頬で、

口から漏れるのは苦しげな呼吸と掠れた声で

触れるものは、きめ細かに色白とほっそりした柔肌で…


そうこうと羅列している間に、ざばぁと音を立てて、英士は湯船から体を上げた。



「ヨンサー、尻が丸見え」

「ああもう、うるさ…っ……っと」

「ッ大丈夫?」

「だから、触るな」



支える手を弱い力で払い除けて、英士はふらふらと覚束ない足取りで浴室を出た。



「……ああ、もう!」



どうしてそう意地っぱりなんだと潤慶はガシガシと頭を掻いて、英士の後を追って風呂場を後にした。