次の瞬間には
ドキドキと高鳴る胸を、その手に持ったボールでもって押し付けて。


大きく大きく息を吸い込んだ。
次の瞬間には
「あーっしかーわくーん!!」



そんな声を張り上げて、ワタルは先程から見つめっ放しのドアに、改めて意識を向けた。

きっと呆れた顔で出てくるであろうその少年の事を考えるだけで緩んできてしまう口元を、キュ と引き締めた時、ドアが小さく開いた。



「いらっしゃい、ワタル!」

「…アヤちゃん」



跳ね上がるだけ跳ね上がった心臓は、一気に元気を失っていった。

ドアからひょこりと顔を覗かせたのは、呼んだ人物の妹のアヤだった。


アヤは嬉しそうに目を細め、玄関からパタパタとワタルへと近づいてくる。



「遊びに来てくれたの?」

「うん、サッカーする約束、したんだ」

「そうなんだ。でもお兄ちゃんは、今動けないの」

「?動けないって?」

「見れば分かるよ、あがって」

「う、うん」



少女とは思えない力の強さで、ワタルの手を引いて前を歩く少女は、どこかアイツを思い出させる。

例えばその色素の薄い髪だとか、肌の白さだとか。


そんな些細な事でもアイツが脳裏を掠めてしまい、また口元がだらしなく緩んでしまう。



「ワタル?」



と、突然そのそっくりな妹が視界いっぱいに映り出てきて、ワタルは思わず二、三歩、後退った。



「ご、ごめん…お邪魔 します」

「お兄ちゃんは部屋にいるから。麦茶とオレンジジュース、どっちが良い?」

「え、あー…っと、じゃあ、麦茶で」



慌てふためくワタルに首を傾げながらも、しっかり者の妹は大きく頷いて台所へと駆けていった。

ぽつん と玄関に残されてしまったワタルは、はぁ と小さく息を吐いて、先程から脳内を占めてやまないその人物がいるという二階へと足を進めた。





「…芦川ー、…入るぞー?」



コンコン と聞こえる程度に、けれど煩くないようにノックをして、応答を待つ。

が、いつまで経っても返事は返ってこない。


ワタルは首を傾げつつ、ドアノブを握った。



「あしか…っ…ぶっ!」



ざああぁぁ と風が吹いた。


まるであの魔法のような、夢のような日々を思い出させるような突風に、ワタルは思わず手で顔を覆い、目を閉じた。


その突風は、ざぁざぁ と音を立てながら通り過ぎていく。

それを耳と肌で感じながら、ワタルは恐る恐る目を開けた。



部屋は窓が開いていて、そこから吹く風が戯れにカーテンを靡かせていた。

そうしてソレと一緒に、また戯れに、ベッドに横たわるその少年、ミツルの髪も揺らしていた。



「……?寝て、んの?……こんな真昼間から?」



その問いに答える者はいない。

目を閉じたままピクリとも動かないミツルに、ワタルの脳裏はあの瞬間をフラッシュバックしていた。


ふらりふらり と勝手に足がそちらへ近づいていく。


もしか なんて有り得ないのに、もうココはあそこじゃなくて、ミツルは美鶴であって、

息が止まっていたらどうしようだなんて、


なんて馬鹿げた…



「あし、かわ…?」



それでも確認せずにはいられなくて、ギシ と鳴ったスプリングにも構わずベッドに腰掛けて、その唇へと手を翳した。

と同時に、小さく当たるその吐息に、漸く安堵する。


それと同時にドッと力も抜けて、ワタルは意味もなく声を上げて笑いたい気分になった。



「…あはは、嫌だなぁ、もう…」



ベッドに顔を埋めたい気持ちを振り払って、ワタルは静まってきた心臓に手を当てる。

それから、改めて、その整った顔立ちをまじまじと見つめた。


またとない機会だし とでも自分に言い聞かせて、その背徳的な行為を正当化させた。



「睫毛、長いよなぁ…」


「芦川………なぁ、芦川…いつまで寝てんの?」


「…起きないと、」



ざああぁあ とまた風が吹いて、カーテンが、ぱたぱた と音を立てる。


カーテンから光がちらちらと覗いて、小さく呼吸するその唇に当たる。

惹き込まれるように、近づいて……



「…寝込みを襲うなんて、三谷は案外、脆い…な」



閉じかけた瞳と触れかけた唇は、一瞬にして遠のいていく。


瞳と瞳がバッチリと合って、ワタルは思わず飛び退いた。



「――――――ッッミツル…っ!? 起き……っ!?!!」

「誰も寝てるなんて言ってないだろ」



ふん とせせら笑うミツルに、ワタルは顔を赤くして口をまるで金魚のようにパクパクとさせた。

声が出ない、言葉が浮かばない。



「っ!だ…っ」

「意外と耐え性ないんだな、三谷は。今度から気を付けなくちゃ」

「ッボクは別にそんなつもりで…!」

「お兄ちゃああん、ドアが開かないのー!」



と、二人の遣り取りは一時その可愛らしい声に中断される。


その声に、ドアの前で、お盆を持って途方にくれる少女がありありと浮かんできて、ミツルは小さく笑みを零した。



「アヤ」



先程とは打って変わっての優しい笑顔と声色に、ワタルは面白く無さそうに口を尖らせた。



「待って、今行くから」



ああ、面白くない



「ミツル」



そんな嬉しそうな顔



「何だよ」



例え妹だとしても



「ミツル!」



面白くない



「だから何だって…!」



ワタルに背を向け歩き出すミツルを、ワタルは声を荒げて呼び止めた。

その荒げた声に負けないぐらいの苛立った声が振り返ったその時だった。



カツ… と小さく歯が当たる音がして、それからゆっくりと離れた。



「……みた、に」

「芦川が悪い」



ワタルに掴まれた腕はみるみる熱を持ち、頬と同じように赤くなっていくように思えた。



そんな風な笑顔、妹にだって向けないでよ



「お兄ちゃーん?ワタルー?」

「ああ、ごめんごめん、今開けるから」



呆然と立ち尽くすミツルに悪戯っぽい笑みを向けて、ワタルはドアに手を掛けた。



「ミツル」

「……何だよ、ワタル…」

「その赤いのの、言い訳、考えといた方が良いよ」

「ッ!おまえなぁ…!」

「っ!」

「ごめんねアヤちゃん、重かったでしょー」

「ううん、全然平気だよー」

「偉いなぁ、アヤちゃんは。…よーし、じゃあ今日は三人で何かして遊ぼうか!」

「良いの?!だって今日はおにいちゃんとサッカーするって…」

「うん、良いんだ、一緒に遊ぼう。アヤちゃんは何が好き?」

「えっと、アヤはねぇ…!」



きゃっきゃと騒ぐ二人に、嬉しそうな妹の顔に、いつもは嬉しくなるはずなのに…

ミツルは、ギリ と奥歯を噛み締めた。



「ホント…油断も隙も無い…」

「何か言ったか芦川」

「何でもないよ、バカ三谷」

「何だよ、アホ芦か…っいってぇ!」



いつまでもニヤついているそのワタルの頭を一回、ゴツ と殴る。

そうして、次の瞬間には、満面の笑みを…