歩けど歩けど光は見えず。 間もなくして、自分の姿すら、闇に混じりて見えなくなる。 自分の存在が不確かとなる。 此処が何処だか、自分が誰だか、分からなくなる。 The gloom resistance その場所自体が初めてでなくとも、この服を着てそこへ行くのは初めてで。 緊張すると痛む右腕が、ズキリと痛んだ。 「…あれ、…?」 予想はついていたけど、やはりその時間には少し早かったようで。 開いていない体育館を前に2〜3分立ち往生。 その後、仕方なく事務室に行って事情を説明してみれば、事務員は優しく微笑んで迎えてくれた。 「…笠井竹巳君ね、ああ、ちゃんとここに書いてある…結構遠くから来たんだねぇ…」 「…はい…あの…」 「ああ、心配しなくて良いよ。追い返したりなんてしないから。早くに来た子は時間になるまで寮の方にいてもらう事になってるんだよ」 君の部屋も決まっているからね、案内するから荷物を持って付いて来なさい。 そう言って事務員は鍵を片手に先を歩いた。 寮へ付くまでの間、おじさんは息つく間もなく話し続け、俺はただ相槌を打ち続けた。 ここを上ると職員室だとか、このフェンスの向こうが女子寮だとか、このフェンスは愛の隔壁、誓いの錠…。 生徒しか知らないそうな事も懇切丁寧事細かに教えてくれた。 「そうそう。荷物はどうした?送ったのならそれがそうだから自分のを見つけて持って行ってね」 「あ、はい」 寮の玄関に付くと、事務員は教員や来客が履くのであろうスリッパに履き替えた。 ごっそりと山積みされたダンボールの横、空いているところに靴を入れた。 それから俺は、サイフとMDしか入ってないカバンを肩に掛け直して、下駄箱の隅に山積みされたダンボールから自分のものを探した。 いくら部屋数限られた寮といえ、結構な数である。 1人1箱とも限らないし。 俺が探す事に悪戦苦闘していると… 「手伝うよ。どんなんなの?」 上から声が降ってきた。 顔を上げると、泣きボクロが印象的な、幼い笑みを湛えた少年が下駄箱に寄りかかってこちらを見ていた。 顔を上げるまで結構な間があったのに、そんなの気にせずにそいつは俺と目が合った瞬間にニコッと笑った。 いつからそこに立っていたのか。 それ以前に… 「………誰?」 俺が返答に困っていると、事務員が助け舟を出してくれた。 「……藤代君、だったかな」 「あ、はい。さっきはどーも」 愛想良くおじさんに笑んで、再びこちらに顔を向けた。 ニッコリと微笑む表情は人懐こく、失礼ながら犬に似ていた。 「俺、藤代誠二!誕生日は元旦。好きな食べ物はハンバーグとスナック菓子、嫌いなものはニンジン」 出たら代わりに食べてな!そんな風に言いながらそいつ、藤代は強引に俺の手を掴んで握手させた。 「…か、さい。…笠井竹巳です。11月3日生まれ、好きな食べ物はいわしで、嫌いな食べ物は鳥の皮…」 んじゃあ鳥の皮が出たら俺が代わりに食べてやるからな!そう言って、藤代は楽しげにぶんぶんと手を上下させた。 「藤代君、それに笠井君。何事も最初が肝心だぞ。それに二人は一年間一緒に過ごすルームメイトなんだからな」 事務員は俺達二人を見て満足そうに頷いた。 手にはノートが載せられており、辛うじて見えた表紙には、部屋振り分け名簿、みたいな言葉が書いてあった。 「じゃあタクがルームメイトなんだー。ヨロシクねー」 「あ、ああ…こちらこそ……って、え?…タ、タク?」 自然過ぎて危うく流しそうになった。 …今、コイツ、俺の事、何て呼んだ? 「…あ、名前で呼ばれんのとかダメなタイプ?俺、余所余所しいの苦手なんだけど…マズイ?」 藤代は少し眉を寄せて機嫌を伺うように俺の視線まで顔を下げた。 「…っ違う!突然で…ちょっと驚いただけで…」 「じゃあタクで良いね。俺の事は誠二って呼んでよ!」 「…うん」 顔が、火照るのが分かった。 緩む口元が抑えられなくて、何でもないフリして、さり気なく下を向いた。 瞬間、ズキリと、また右腕が痛んだ。 クラリとフラッシュバック。 「おじさん、後は俺が案内するから戻って良いっスよ。あそこ、放置しっぱなんでしょ?」 「そうかい?悪いね。じゃあ頼むよ。それじゃあね笠井君」 「あ、…は…い……!っ」 頭を下げると、瞬間、視界が、世界が、色が歪んだ。 そのままぐらりと倒れそうになるところを、藤代が間一髪支えた。 「…タク?」 力が入らない。 俺は無理矢理に手を動かして、顔を隠して、ただひたすらに、心の中で言い続けた。 分かってるから。 と。 「タク?」 ヒョイと、腕を退かされて顔を覗き込まれる。 「……大、丈夫…」 「ホント?」 「…うん、ちょっと寝不足で…」 ごめんと謝って自分の足で立つ。 グラグラと地が揺れるが、何とか踏ん張る。 「じゃあ、行くね。笠井君、また遊びにおいで」 「あっ、はい!ありがとうございました」 事務員は心配げな表情をしつつ去っていった。 頭を下げて、心の中で自分に言い聞かせた。 考えるな 思い出すな 自惚れたりしないから 「じゃあ、行こっか」 「あ、ああ」 いつの間に見つけたのか、藤代は俺の名前が貼ってある小さなダンボールを片手に抱えてスタスタと歩き出した。 俺も慌てて後を追った。 揺らぐ視界を振り払って、『今』に集中した。 |