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静寂な佇まいを思わせる日本家屋に、今朝も似つかわしくない騒がしさが響き渡る。



「肇えええ!」



覗きこめば自分の顔が見えそうなくらいに磨き抜かれた床の上を、ドタドタ走る音。


その音に、庭先を掃除していた者も味噌汁をかき混ぜていた者も手を止め、顔をあげる。

誰も彼もが強面と称されそうな目つきをしていた。



「なあ、肇見なかったか!?」



そのうちの一人に声を掛けると、その強面は箒の手を止め敬意を示すように頭を下げた。



「こちらには来ておりませんが、何か御用でしょうか」

「んー…多分、肇じゃねえと分かんねえからいいや」



どこいったんだよ、ったく。と口を尖らせた青年は、少年と称するには大人びてはいるが、青年と称するにはまだ少し幼い顔つきをしている。

柔らかそうな髪をがしがしと掻いて、面倒そうに息を吐いた。



「肇!?肇!?おい、どこだよ、はーじー…むぐっ」



メガホンの要領で手を口元で囲み、思い切り息を吸い込んだところで後ろから伸びてきた手に声を塞がれる。


自分に差し込んでいた太陽の弱い光が遮断され、影ができる。

変に温かいその手を掴み、青年は後ろを振り返った。



「若、そのようにみっともなく騒がれては他の者に示しがつきませんよ」



随分と背の高い男は、幼い顔つきの青年を若と呼んだ。

その姿は威圧感たっぷりである。太陽を背にしていることもあるが、上から下まで真っ黒な装いのせいもあるだろう。


男は、居場所なく控えていた、先程青年に声を掛けられた男に手をかざす。

強面の男は、再度頭を下げ、また掃除へと戻っていった。



「はあ?みっともなくう!?お前がおれのそばにいないからだろ!」

「…これは失礼しました、若が起き抜けに食べたいと申されたプリンを買いに出ていたもので…」

「おっ!買ってきてくれたのか?あんがと〜。さっすが肇」



男がコンビニの袋を示すと、若と称された青年は膨れ面を一転、嬉しそうに顔を緩めその袋を手に取った。

早速中身を物色し出した青年に、今度は男がやれやれと息を吐く。



「全く、身なりにも気を付けて下さいといつも言っているでしょう」

「んー…どーせお前がいじるんらふぁら、いいひゃん」

「若」

「へーへー」



プリンに添えられたプラスチックのスプーンを見つけ、口に運びだした彼を窘める声に、青年は肩を竦める。

無駄だということは分かっているらしい。男は諦め、おもむろにポケットに手を突っ込んだ。



「髪だってこんなに乱して…」

「ん〜っやっぱうまいなー、ここのプリン〜」

「聞いてるんですか、若。ワイシャツもだらしなく出して、ほらしまってください」

「んんー」



そう言って、男はポケットから取り出した櫛で青年の髪を撫で、ズボンからはみ出したワイシャツを再度中へと押しこんだ。



「はー!うまかったあ!また買ってきてくれなー」

「承知いたしました。それはそうと若、私に何かご用だったのではないんですか?」

「…」



プリンの空箱を男に手渡した姿勢のまま、青年はぴたりと止まった。固まったといっても良いだろう。

そして次の瞬間―――…



「ああああああああああ―ーーっっ!!!」

「っ!」

「そうだそうだ!そうだよ肇!俺の体操着どこ!?」



顔面蒼白の青年、先程プリンに至福を感じていた顔はもう見えない。

コロコロと表情の変わる、どうやら感情の起伏が激しいようだった。


対して、向かいで胸倉を掴まれた男は、表情を変えずに口を開く。



「体操着ならもう鞄にしまってありますよ」

「あり?」

「探しもせずに出てきたんですか?本当に…そそっかしい方ですね」

「だーから、お前がそばにいりゃこんなことにならずに…って、ああああ!時間!」

「まったく…毎朝騒がしくしないと気が済まないんですか若は」

「ああもう煩い煩い!良いから早く学校連れてって!」

「やれやれ」



腕に光るのは、その年ではどうやっても手が届かないであろう腕時計であった。

それが、登校の時刻が大幅に過ぎていることを知らせていた。


慌てふためく青年の頭にぽんと手を置いて ―いつもはそれをやると怒るのだが、それに気づかう余裕もないらしい― 男は小さく微笑した。

青年はその顔に目を丸くした、驚きの表情とも取れる。

驚きでしゃっくりを止める要領、とは言わないが似たようなものである。青年はスイッチを切られたように大人しくなった。



「車を用意して参ります、台所に食事を用意してありますから少しでも口に入れてきてください」

「ん」



頷いて台所へ向かう背を見つめ、日常茶飯事と化した光景に、日課のように肩を竦めた。

そこへ、後ろから声がかかる。



「肇!」

「なんですか?」

「いつもありがと」

「………」



ちゃりん。

これは彼の心の中で何かが落ちた音、ではない。

ポケットから取り出した車のキーが、傷一つない床に落ちた音である。



動きに合わせてさらさらと揺れる髪は日に透けて儚げで、まだ幼さの残る笑顔からは懐かしさよりもドキリとしたものを覚える。



「……さて…」



男はハッと我に返る。

落ちた鍵を拾い、既にそこにはいない青年の姿を思い出すようにもう一度その場所を見遣ってから車庫へと向かった。



青年、名を和利という。齢十六にして谷堂家の跡取り息子として日々を過ごしている。

上から下まで黒づくめ、スーツ姿の長身の男、名は肇という。谷堂家、ひいては和利に仕える男である。


これはそんな二人の物語である。