依存症 参
「幸村ァ」



好きな人が傍にいて



「政宗殿!」



それが日常だとしたならば



「帰ろうぜ」



ソレ即ち、至幸な事なり



「はい!」
依存症 参
人目気にせず寄り添って、互いを一番近くで感じられるように手を絡めて歩く。

シン… と静まり返った廊下は、まるでこの世には二人以外は存在しない事を錯覚させた。



「ああ、そこ、滑りやすいから気を付けろよ」

「え?うおああっ!」

「幸村…っ!」



そうしてその相手がこの人である事に、幸村は感謝して止まない。

この運命を決めたのが神であるならば神に、仏であるならば仏に感謝したいと。


階段の最後の一段を踏み外した幸村の行く末は、よくて足を捻ったか、悪くて骨折したであろう。

そこを伸ばした政宗の手が運良く幸村の腕を掴み、大事に至らずに済んだどころか、

胸へと抱き込まれて、何だかこの事にさえ感謝してしまいそうな思いに駆られる。



「大丈夫か、HONEY」

「…あ、ああ…申し訳ない…」



上から声がして、ハッ として体を離す。

瞬間、己の注意力の無さに顔が熱くなっていくのが分かった。


と、不意に政宗が小さく笑いを零した。



「…ど、どうかしたでござるか?」

「…はは、いや…Sorry…アンタに滑る滑らないは関係なかったなと思ってな、ははっ」



滅多に声に出して笑わない政宗が笑う。

言葉に恥が大きくなるものの、こうして稀に見える笑顔が見られるのなら… と幸村もつられて笑って見せた。



「ああ、そうだ、幸村。今晩うちに来ないか?」



政宗が思い出したように声を上げた。

置かれた位置の違う下駄箱の距離のせいでいつもは聞こえない声も、今日はよく澄んで聞こえる。

いつもは真っ先に帰っているので、放課後の静けさは何だか新鮮だった。



「え?今晩でござるか?」

「ああ、小十郎が鍋をやるって利かなくてな、折角なら大人数でやった方が楽しいだろ?」

「…そ、某が行って良いのでござるか?」



思わぬ誘いに、幸村の手からスニーカーが床へと落とされる。

靴棚の向こう側から、ああ と返答が聞こえてくる。

嬉しさに顔を綻ばせながら幸村が礼を言おうとした時、政宗がソレを遮った。



「…ってぇのはだな…会うための口実だ」

「えっ?」


パタン と向こうで音がして、足音が近づいてきた。

靴棚の向こうから政宗が姿を現し、幸村の元へと歩み寄る。

いつになく真剣そうなその顔に、幸村は己の心臓が高鳴っていくのを感じた。



「…だめか?」



ぎらり と射抜かれるような瞳に、幸村は息を詰まらせる。

いつの間にか政宗の両の手が自分の後ろの棚へと置かれていて、逃げ場が無くなっていた。


こうして逃げ道を無くしておきながら、ダメかと問うのは一体どういうつもりなのか…

幸村は顔を俯けて、破廉恥でござる と、ポツリ と零した。



「政宗殿はそうしていつも某に辱めを受けさせようとするのでござるな」

「…別にそんなつもりじゃ…」

「分かっているでござる、某の口から聞きたいのでござろう?」

「…」

「けれど、政宗殿…某とて政宗殿の口からお聞きしたいのでござる」



にこ と笑い、幸村は続ける。



「政宗殿は某にどうして欲しい?政宗殿がそうであるように貴方の喜びは某の喜びでもあるのでござる」

「………傍にいて欲しい」

「某も政宗殿の傍にいたいでござるよ。……政宗殿が大好きでござるからな」



そう幸村は恥ずかしそうに微笑んで、昇降口を出て行く。

政宗は、ポカン と間の抜けたような表情をし、それから踵を返す。



「幸村っ」

「何でござるか、政む…うぶっ!」

「幸村…ッ!俺も幸村のこと、死ぬほど…愛してるぜ…」

「…政宗殿、某を好いているのなら死なないで下され、某はずっと政宗殿の傍におりたいでござる」



きつくきつく抱き締められていたのに、その力が更に強まってソレが返答だと幸村は知る。

と、背に回す手に、ひやり と冷たいものが触れた気がして、幸村は空を見上げた。



「…まっ、政宗殿!雪!雪でござるよー!」

「……Ah、道理で寒いはずだぜ…」



抜けるような青空は、いつの間にか灰色の雲に覆われて、そこから、はらはら と音も無く雪が落ちてくる。

幸村は空に手を翳して、嬉しそうに笑う。



「ロマンチックでござるなー」

「ん?」

「雪降るこの日に誰もいない校庭でこうして二人で過ごせて某は幸せでござる」

「……」



政宗殿ぉ… と甘えるように擦り寄ってくる幸村に、政宗は自身の心臓が、きゅん と締め付けられるような感覚を覚える。


愛しくて愛しくて…ああ、他に言葉が見当たらない。

こんなにももどかしい思い、そう、骨が軋むほどに抱き締めてやりたくなる、息が止まるほどキスをしてやりたくなる…



「幸村」

「何でござるかー?」



はふ と白い息で手を温めている幸村の、その細い顎に手を添える。

手の冷たさにか、ひくり と肩を揺らしたが、逃げる気配はない。

それを良い事に、政宗は幸村との距離を縮めていく。



「ま、政宗ど、の…」

「こういう時は黙って目ェ閉じてるもんだぜ?」

「だがしかし…っ」



幸村は恥ずかしそうに眉を顰ませる。

政宗に諭されてようやっと、きつく目を瞑った。


先程まで小っ恥ずかしい事をのたまっていたというのに、こういう事になると幸村は異常なまでに赤面して見せる。

そこがまた可愛いのだけれど… と緩む頬をそのままに、唇が後数センチで触れるところで…



「真田幸村ー」



抑揚のない声が雪と共にどこからか降ってきた。

つ と幸村の顔が意識もろとも政宗から逸らされる。



「…明智先生…?」

「貴方、今日が追試の日だという事忘れていますね」

「……ああ!!」

「あと十秒で五階まで上ってこなければ赤点ですからね」



ひやり と冷たい声は用件だけ述べて姿と共に消えていった。

一方の残された幸村は、顔面蒼白の表情で固まっていた。



「ゆ、幸む…」

「あ、あと六秒!」



恐る恐る伸ばされた政宗の手は、惜しくも空を掴む。

幸村は腕時計を見て、一目散に昇降口へと戻っていく。


キスはお預けかよ… と政宗は心中で呟いた瞬間、幸村が、くるり と振り返った。

心を読まれたのかと、ギクリ とすれば、幸村は大きく手を振った。



「今晩また会いましょうぞー!!」



そう言うだけ言って幸村は校舎の中へと消えていった。

ぽつり と一人残された政宗は、幸村に答えるために伸ばした腕をゆっくりと下ろして空を見上げた。



「……さっみーなぁ…」



けど心ン中は温けぇぜ… と一人ほくそ笑んで足取り軽く、政宗は一人帰路につく事にした。

今晩の事を想像しながら…