依存症 弐
チャイムが鳴って、徐に鞄を手に取って、ゆっくりとした足取りで教室を出る。

早くと急かす脳を無視するのは、余裕のない己を見せたくない男心というヤツだ。



「幸村ァ、帰るぞー?」



階段を通り過ぎて一番奥の教室、ドアのところに身を預けて、後ろ毛を、さらり を揺らすその人を探す。

と、瞳を、キラ と潤ませて幸村が政宗の胸の中へと飛び込んできた。



「政宗殿ぉー!!」

「!?」
依存症 弐
勢いよく突っ込んできた幸村を、政宗は難なく抱き込んだ。

柔こい髪を、ソッ と撫でてやると、幸村は擦り寄るように顔を埋める。



「どうしたHONEY?誰かに苛められてたのか?」

「う、うぅ…っ」



首を振って、それでも涙を滲ませて、幸村は小さな嗚咽を零す。

傍にやってきた佐助に、一体何があったのかと目で訴えると、佐助は呆れた表情で幸村の懐を指差した。



「?…幸村、ちょっといいか」

「…ぐず…うぅ…っ」



少しだけ体を離して幸村を見遣ると、手に何か、紙が握り締められているのに気付く。

幸村の指を解いて、ぐしゃぐしゃに皺寄った紙を手に取り広げた。



「……HONEY…これは…」



これは何と言ったら良いのか…


言葉に詰まる政宗に無理はない。

幸村の手の内に握られていたその紙は、英語の答案用紙。

そしてその点数は十六、大きく大きく、嫌味ったらしいほど大きく十六と書いてあった。



「そ、某は試験があるなど聞いておらぬ…!」

「明智先生はちゃんと言ってたデショ」

「佐助は黙っておれ!」



慌てて弁明、というより弁解を始める幸村に、佐助は、旦那は英語の授業の記憶は曖昧だからねぇ… と呆れて溜息を吐いた。

すぐさま、煩い と幸村に怒鳴られて、佐助は眉を寄せる。



「旦那が悪いんでしょ、いつもいつも英語の時間にウトウトしちゃってさ、自分が悪いのに図星指されて八つ当たりしないでよ」

「おい、言い過ぎだぞ」



どうやら佐助の虫の居所も悪いらしい。

いつもはどうしたって出てこない悪態が佐助から放たれて、幸村は泣きそうに顔を歪めた。


決まり悪そうな佐助と泣きそうな幸村に挟まれて、政宗は溜息を吐く。



「…HA〜N、さてはお前も点数が悪かったな、猿飛」

「っ」

「…図星かよ」

「…誠でござるか?」



この険悪な雰囲気を打開するには…と吹っ掛けた政宗に、佐助は幸村にも分かるほど動揺してみせた。

マジかよ… と政宗が苦笑いする、そうせざるを得なかった。

横で、空気を読めない幸村が驚きを隠せない風に瞬きをしている。



「で、どうするんだ、幸村」



また嫌な空気を感じて、政宗が話題転換をすれば、幸村は、ハッ として手を叩く。



「そうであった。某、佐助に英語を教えてもらうつもりだったのだ…だが」

「猿飛クンも苦手だったわけだ」

「……スイマセンね、日本人なもんで」

「そうでござる!某も佐助も生粋の日本人であるに関わらず、何故他国の言語を学ばねばならんのだ!」

「偉い人がそう決めたんだよ、どうしようもない事なんだからそこは突っ込むなよHONEY…」

「だが、このままでは佐助も某も留年してしまう…!」



一学年下の者ともう一度英語を学ぶのか!? と英語を毛嫌いする幸村と、

俺は留年しない と根拠の無い自信で言い聞かせる佐助とを見て、政宗は再び溜息を付いた。



「よし!俺が教えてやるよ」

「え?」

「真田の旦那が?!」



驚きに目を丸くする二人に、政宗は大きく頷いた。



「このままじゃまずいんだろ?それに英語は俺の得意分野だ」

「だが政宗殿の自由な時間をこの幸村のために裂くなど…」

「あんたとの時間を無駄だと思った事なんかねぇよ」

「…政宗殿…」



ついついいつものクセが出て、甘い言葉 ―佐助曰く悪寒がする言葉― を囁いてしまう。


今はそれどころではないのだった。

一瞬の甘い時間と、今の我慢で今後の長い甘い時間とを秤に掛けて…イヤ、掛けるまでもない。


ぽわ と頬を染める幸村に、政宗は無理矢理明るく笑んでみせた。



「な?」

「…だがやはり…」

「教えてもらおうよ旦那、折角の親切を断る方が失礼でしょ」



煮え切らない幸村に佐助が助け舟を出した。

もしかしてあんたも相当ヤバいのか? と目で訴える政宗だが、佐助は目を逸らしたままだ。



「分かり申した、お願い致す」



漸く観念したのか、頷く幸村に、政宗は指を、パチン と鳴らした。



「じゃあ決まりだ、明日から俺の家でやろうぜ」

「宜しく頼むでござる」

「世話掛けるね、伊達の旦那」

「おう!二人まとめて英語漬けにしてやるぜ」



こうして、生徒二人と講師一人の英語強化特訓が明日より行われる事となる。

だがこの後、授業料でも請求しておくべきだったと激しく後悔する事になるのだが、今はそんな事を知る良しも無い。