ちょっとした、出来心だったんだ。

何て言うか…単なる暇潰し……って言ったら俺サイテーなヤツだな…

違う、違うんだ。


寧ろ、俺が陥ったっていうか…

yield to temptation

シン と静まり返った部屋には、今、俺と舞織しかいなかった。

大分前に兄貴は大将を連れて、年明け大感謝祭セールを行うというスーパーへと勇み立って行ってしまった。


そうして時間だけが、一刻一刻とただ無駄に過ぎていった。

兄貴達が向かったというスーパーのチラシには、もう何度目をやった事か…

年明けたばかりで、ロクな番組がやっていないテレビはつけたまま一人で騒がしくしているし、

放浪しようにも、外は肌を刺す冷たい風が吹き荒んでいて、とてもじゃないがそんな気分にはなれなかった。


はぁ と息を吐く。



「幸せが逃げちゃいますよ」



ソファに小さな身を沈めて、本を読みながら舞織が呟いた。


溜息もこれで何度目だろう、今の今までは溜息に反応もし無かったくせに何で急に…

あ、いい加減聞き飽きたんだろうか、それは悪い事をしたな。


そんな事を思いながらも、俺はまた、はぁ と盛大な息を吐いてソファに背中を預けた。



「…なぁ、」

「…はい?」

「ソレ、面白い?」

「ええ、今濡れ場です」

「マジでか」

「嘘ですよ」

「………」



テーブルに置かれたココアは、兄貴が出発前に舞織だけに沸かしたものだった。

今はもう湯気も消えて、すっかり冷めているだろうソレに舞織が手を伸ばした。


俺は、ふと、思いついた。



「なぁ」

「何ですか?」



ああ、そういえばコレ、今日で何度目の「なぁ」だろう。

俺は今日一日、同じような事ばかりを繰り返している。

チラシを眺めてテレビを眺めて欠伸を噛み殺して溜息を吐いてどうでも良い事を「なぁ」から始めて舞織に問いかけている。


けれどコイツは、一向にうんざりした顔一つ見せずに、今日何度目かの「何ですか?」を俺に返した。

…結構、良い妹だな。


ぼんやりと思いながら、先程思いついた子供染みた悪戯を、タイミング良く投げ掛けた。

タイミング良く、というのは、舞織がココアを口に含んだ瞬間の事である。



「…俺達さ、結婚しねぇ?」



ごとん



「………………………………え?」

「うお!ちょ、舞織!?カップ!口!本!ソファ!ああ、服も!!…っおい!……って、…え、?」

「え、あ、…ああ!あ、あ、た、タオル、持ってきます!」



バタバタバタ、ごんっ、どたっ ばたばたっ ばたん!!



ワハハハハハハ とテレビから不快な笑い声がどっと溢れた。

今、日本は空前のお笑いブームだ、どこかの若手芸人が面白おかしく自分を卑下したのだろう。


煩いテレビだが、そんな煩さを掻き消す音が、どこか遠く。

遠く遠く遠く遠く、水金地火木土天海冥…うん、冥王星辺り。

そんな遠く遠くの方から、音が聞こえてきた。


段々と大きく大きくなっていくその音は、一定のリズムを刻む。


約25億回、人はその音を刻むとその生を終える。


人はゆっくりゆっくりと、死に向かって生きている。

ならば俺は、今、駆け足で死に向かっている事になる。


バクバクと物凄い速さで、まるで全力疾走直後、一世一代告白の直後のような、緊張が全身を駆け巡る。



「…ンだよ」



詰まっていた息が、掠れた言葉と一緒に吐き出された。

忘れていた呼吸を思い出して、肺に思い切り酸素を送り込んだ。



「何だよ、アイツ」



洗面所にタオルを取りに行ったまま戻ってこないアイツは、どうしてあんな顔をしたのだろう。


驚いて驚いて驚いて驚いてこれでもかというほど驚いた顔をして、けれどその中に泣きそうな色を交えて眉を顰めて

茹で上がったタコなんて目じゃないぐらい、真っ赤に顔を染めて。



「………」



そうして俺は、総力を結集させて、死へと更に駆け出して行った。