「ししょーししょー!」



こうして姫ちゃんは、前よりもぼくにべったりになってしまったのでした。

親の思惑、子の知る由もなし

「ししょーししょー!」

「はいはい、分かったからそんな大きな声出さないで」



寝不足の頭に響くよ、そう続けて、ぼくはのっそりと体を起こした。

ぐったりとした布団を隅に避けて、狭い部屋をもっと狭くするべくテーブルを立てる。



「ししょおおおお!!」

「この世の女子高生とは思えない絶叫して何してんの姫ちゃん」

「卵の殻はお好きですか?」

「へ?って、ちょっと姫ちゃん!これ何の冗談!?」

「姫ちゃんはいつだって真面目です」

「尚のことタチが悪い!」



ぎゃーぎゃー悲鳴を上げる姫ちゃんが立つのは小狭な台所。…台所と呼んでいいものかどうか、とにかく狭い。

家庭科で作ったというエプロンを身に纏い ―後ろで交差して結ばれたリボンは縦結びになっている― 姫ちゃんは何やら真剣に料理をしているようだった。


おはようございます!とぼくの安眠を妨げにやってきて、朝食を作りに来ましたよ、へ―姫ちゃん得意だっけ、朝食は得意ですよ!ふーんと二言三言、言葉を交わし、またうつらうつらとまどろんでいたらこの始末だ。


分かっていたじゃないか。

姫ちゃんの得意は全部妄想なんだよ、と。

言い聞かせてきたことをぼくが忘れてどうするんだと、姫ちゃんが立っていたところに代わりに立ったぼくは、目の前の惨状に眩暈を覚えた。



萌太くんからの告白騒動その後、姫ちゃんは毎日のようにぼくの部屋に来るようになった。

宿題を持ってきたり剣玉を持ってきたり、手ぶらできたりアイス、しかも自分の分だけ持ってきたり。

姫ちゃんは逃げるように、怯えるように、匿ってもらうように、ぼくの部屋に着て、入り浸る。


朝も早くから夜も遅くまで。


それから、音に随分と敏感なようだった。主に、階段の音に。

朝早く、階段を降りる音が聞こえてはビクリとし、夜遅く、階段を上る音が聞こえてはギクリとする様を、ぼくはここ数日、毎日のように見ている。


いつもより遅く階段の音が聞こえては、不思議そうに階段の方へと目をやって ―といっても壁があるだけ、壁を見つめているだけなのかも知れない― いつまでも階段を音が聞こえてこない事に心配そうに…やはり壁を見つめている姿を見かける。

まあ萌太くんのことだ、色んなバイトを転々としているから出る時間も戻る時間もバラバラなのだろう。



「ししょー」

「ん?」

「お腹空きました」

「はいはい、何作ろうとしてたの?」

「オムライスです」

「朝から?」

「もう十一時ですよ」

「あっちで座って待ってなさい」

「はーい」



シンクには、殻がたくさん入った卵と、白いご飯が山盛り盛られたものと、空のもの、計三つのボールが置かれていた。

あとコンロにフライパンが二つ、二つとも油がしいて温められており、片方には殻入り溶き卵が入れられていた…ぼくはこれを食わされるところだったんだろうか。


やれやれと袖をまくり、ボールをシンクに放り込む。

ちゃっちゃと洗い流して、後ろの小さな冷蔵庫から卵を四つ取り出して、空のボールに入れて溶き始める。



カン、カン、カンカン…



唐突に、錆びた音が、上からおりてきた。

音の筒抜ける壁の薄い部屋、上から下りてくるということは、三階の住人であろう。もしくは三階にいた住人、友人と考えられなくもないが、その可能性は少ない。



「………」



卵を溶きながら、ひっそりと居間を見遣る、気付かれない程度に、横目で。

姫ちゃんはぼんやりと焦点の合わない瞳で壁を見つめていた。ぼくが顔を姫ちゃんに向けても、姫ちゃんは気付いていない模様。



「……ふむ」



温まったフライパンに、溶いた卵を流し込む。

ご飯はまだジャーに入った温かいやつがあったはず、新しいフライパンを出して、油をしいて温め始める。



「ねえ姫ちゃん」

「は、はい!?」

「萌太くんの」



ガッチャアアン!!



「え、な、なに!?」

「す、すいません…コップ割っちゃいました」

「いや、いいよ。片付けなくて良いから、ああほら、怪我するから」

「すみませ」



テーブルの上にあったコップが、跡形もなく、粉々に割れて床に散っていた。

慌てふためく姫ちゃんを制して、ぼくは火を止めて駆け寄った。



「大丈夫?」

「はい」



玄関から箒を持ってきて、じゃりじゃりとガラスを掃いていく。細かいのはあとで掃除機をどこからか調達してくるとして。



「座布団敷いて座ってな、気をつけてね」

「……」

「姫ちゃん」

「っ、あ、は…はい」



姫ちゃんは焦点の合わない目のまま、ぽふんと座布団の上に腰を下ろした。


ぼくは台所に戻って、料理を再開する。

温まったフライパンにご飯を入れて、上からケチャップをぶちまける。



姫ちゃんは…ずっとこんな調子だった。

妙にテンションが高くて、でも萌太くんの名前を出すと凄まじい動揺を示して更にテンションをあげる。

顔を赤くして手を震わせて、息が詰まったように言葉を詰まらせて、目を泳がせる。

そして喪に服するように、地の底へ気を落とすのだった。



意識して、始まる恋もあると思う。悪いとは思えないし、こんな姫ちゃんを見るのは、なんとも微笑ましい。


けれど



「わ、あ、っ!」



ガチャアアアン!!



二人がくっつくまでに、ぼくの家のものが一体どのぐらい壊されてしまうのか…心配ではある。



「そうだなあ」



少しばかり、せっついてみようか。