「軋識さん!ねぇ、軋識さんてば!起きて下さいよう!!」

「あと、…三時間ばかし…寝かせ……るっちゃ……」

「さ!?せめて三分に…って違いますよう!寝ないで下さい!軋識さんっ軋識さんてばあ!」

「……」

「…うぅ…っ…」



ナイチンゲールは早くも挫折しそうでした。

嗚呼…

ですがナイチンゲール、もとい舞織は諦めません。

このままでは折角作った朝食 ―お粥だけど― が冷めてしまう。


何とか起こさなくては… と舞織が試行錯誤した結果…



色気で起こそう作戦(またの名を餌で釣ろう作戦)



「軋識さぁん?起きたらチューしてあげますよー?」

「……」



失敗。



続いて

絶叫で起こそう作戦



「軋識さあああん!!起きて下さああああい!!!」

「……」



失敗。



「煩ぇぞ!舞織!」

「ひぃ!」



代わりに人識くんが起きました。



「かくなるうえは…」



そう言って、舞織は、じりじり と後退る。


背中がドアに当たったところで、漸く足を止めて、軋識の寝ているベッドとの位置を修正して…


走った。



「走り出しました舞織選手ぅ!走り高跳び日本新に挑戦だあ!!助走を付けてぇ!…飛んだあ!!」



一人実況中継の元、舞織は思いきりフローリングを踏み込んでジャンプした。

着地地点は勿論、軋識の寝ているベッドの上、できれば軋識の上にとの願いが通じたのか、軋識に跨るようにして着地成功した。



ばふんっ



「ぐえっ!!」

「おおっとぉ!ピンポイントストラィィィック!着地成功です!」



布団の下からくぐもった声が聞こえる。

そして間もなくして、軋識が布団から顔を覗かせた。



「苦しそうですね」

「誰のせいだっちゃ」



胸を擦りながら起き上がり、苦しそうにして睨む軋識に舞織は悪びれた様子がない。

大きな瞳をきょとんとさせている。



「軋識さんのせい?」

「……こンッの野郎!」

「うなあ!」



グイ と手を引かれて、思わず顔から軋識の胸板へと突っ込んだ。



「…わっ…ぷ…」



その体勢でもがく舞織を無視し、そのまま舞織の足も自身の方へと引き寄せて、胡坐をかいた上に横向きにして座らせた。



「っぷはあ!苦しかった!」

「ザマァミロっちゃ」

「……起きない軋識さんが悪いのにー」



ぷぅ と膨れてしまった舞織に笑いが込み上げてくる。


妙に冷徹かと思えば笑顔満開だし、淡々としてるかと思えば興味関心旺盛だし、大人びてるかと思えば幼かったり年寄りくさかったり…


一緒にいて飽きないな… と軋識は舞織の頭に手を置いて、ポンポン と叩いた。



「?」

「…――ッ」



そう…そして、妹から急に女性へと変貌してみせるのだ。


今だって見る人によってはただの高校生だろうが、くるりとした大きい瞳だとか、瑞々しく潤った唇だとか、長い睫毛だとか、良い匂いのする髪だとか…

とにかく舞織を構成している全てのものに煽られている気がしてならなかった。


ともなれば、ムラムラしてきてしまうのは、仕方の無い事、寧ろ舞織のせいだ、と軋識は自分を肯定した。



「軋識さん?」

「舞織」

「ッひあっ?!きっ、軋識さん?」

「……そんな色気のない声出すなっちゃ、萎える」



ふぅ と耳に言葉を送り込めば、何とも色気のない声が返って来て、ガクリ と首を項垂れたくなる。


だが、赤くなった頬だとか、本人無自覚なのか服を握る手だとか、寄せられている胸だとか。

わざとだろうか、と聞きたくなる。


萎えたのはたった一瞬だけ



「…ゃ…ッ」



耳に唇を寄せて、そのままそこに舌を差し込んだ。

舞織は、ビクリ と肩を竦ませて抱き付いてくるが、それを制して耳の中で水音を響かせた。



「きししっきさ、…やめっ、やめましょう、よおッ!」

「朝、ちゃんと起きてやれなかったお詫び、してやるっちゃ」

「しなくて良いですよお!んぐっ」



喚くその唇を、己のソレで塞ぐ。

苦しそうに眉が歪められる、不安そうな瞳が涙で潤む、怯えたように服を握る力が強まる。


嗚呼、それらが全て煽るだけなんだと、何度教えれば分かってくれるのか。



「んふっ、…ふ、…ぅ、…あ」



咀嚼するように、水音を響かせて、その瑞々しく潤った唇を貪った。


やがて本当に苦しそうに胸を叩くので、仕方なく唇を離す。

名残惜しく、上唇を食んで離してやると、舞織は盛大に酸素を吸い込んだ。



「もう!軋識さ――」

「甘い、な」

「――ッッ!!」



ふっ と笑えば、カッ と朱に染まる。

困ったような泣きそうな顔が面白くて、悪戯心が顔を出す。



「何食ったっちゃ?」

「…トースト」

「ハチミツか何か乗せた?」



こくん と小さく頷いてそのまま俯いてしまった舞織に、いよいよ可笑しさが押さえられなくなった。



「…ぶっ…くっくっく…」

「…き、軋識さん?」

「あは!ダメだ!おかし…ッ…くっくっく…!」



突如体を震わせて笑い出した軋識を、舞織は不安そうに見つめる。


けれどいつまでも笑っているわけにはいかず、必死になって笑いを押さえた。



「……っはぁ…ははっ…ッ……はぁ…っ…わ、悪かったな。突然笑い出したりなんかして」

「…いえ」

「じゃ、朝飯にするっちゃ」

「…ですか…」



落ち着きを取り戻した事に安堵したのも、そう言ってやると何とも複雑な表情をした舞織と目が合った。



「そんな残念そうな顔するなっちゃ」



にたり と笑顔を作ってそう言ってやれば、舞織はまた頬を赤く染めた。


あと一言くらい、許されるだろうか。



「今日、ちゃあんと、シてやる。それまで我慢しろっちゃ」

「…なっ!…――――ッッ!!!!」



もう一度耳に言葉と共に吐息も送り込む。

舞織は面白いくらいに反応してみせる。


掴んだ腕は鳥肌が立っているようだし、耳まで真っ赤で…



ボスッ!!



なんて観察していたら、突然腹部に強烈な痛みを感じた。

それが何かなんて確かめる事もできないまま、軋識は呻いて蹲る。



「わ、わたしで遊ばないで下さい!」



そう言って軋識の腕の中からするりと抜け出した舞織を、軋識は横目で見遣った。


コイツ、ボディーブローなんて一体どこで!?


見事に鳩尾に入ったソレの痛みは中々引かない。

今ので右腕の傷も開いたかも知れない と未だに動かない右手を見て思った。



「……こほんっ、ではでは気を取り直して。舞織ちゃん特製スペシャルお粥ですよー!」



じゃーん! だなんてお盆を目の前に出されたって、後を引く痛みに、それを見る余裕があるはずがなかった。



「…もしかして鳩尾入っちゃいました?」

「もしかしなくても…そうだっちゃ」



苦しそうに呻いた軋識に、舞織は漸く自分のした行為のでかさに気付いたようで。

あちゃー と小さな声が聞こえた。



「は、入るだなんて思わなかったんですよう……ご、ごめんなさい」



お粥を傍らに置いて、舞織はベッドの上に乗り上げる。

幾分戸惑ってから、ゆっくりとその細い手が軋識の腹を撫でた。



「本当に、ごめんなさい」



優しく撫でるそれに、痛みが和らいだかも、と現金な事を思った。


にしたって、これじゃあ立場が逆転だ。

悪いのは俺、謝るべきも俺なのだ。


すっかりしょげてしまった舞織の頭を二度三度叩いて、笑ってみせる。


けれどその笑顔が逆効果だったのか、舞織は更に不安の色を深くした。



「もう、大丈夫っちゃ。痛みは随分、和らいだ」

「…そう、ですか?…本当に、ごめんなさい」

「俺が悪ノリし過ぎたせいっちゃ、舞織は悪くない」

「……けど………はい」



それでも何か反論しようとした舞織の唇に人差し指を宛がってソレを制した。

渋々頷いたのを確認してから指を離した。



「…そ、それじゃあ、ご飯にしましょうか」

「ああ…」



何とも気まずい空気が漂う中、軋識は思った。

やはり自分で食べなくてはならないのだろうか と。


こんな雰囲気にしてしまったのは自分なのだし とガッカリした自分を心の中で叱咤し、お盆を受け取ろうと手を差し出す。



「…え?自分で食べるんですか?」



舞織は差し出されたその手を不思議そうに見遣る。



「え?」



そして今度は軋識が不思議そうに舞織を見遣った。



「「………」」



再び妙な沈黙。

けれど、悪くはなかった。



「「ぷっ!」」



「あはは!軋識さんのその顔…!あは!あははは」

「舞織こそ!そのすっ呆けたツラ、何とかするっちゃ!」



腹が捩れるー と舞織が苦しそうにお腹を支える。

軋識は傷が痛むのか、右腕を押さえつつ、それでも笑うのを止めようとしなかった。



一頻り笑った後、顔を見合わせる。


何だか妙に照れくさい。



「はい、あーんして下さい」

「…ん」



まだ今日は始まったばかりだ。



舞織の手を握りながらそんな事を思った。