わたしの放課後は、いつだって厄難に待ち伏せをされている。



「ねえ、、あれさ、毎っ…日のようにきてるけど…ほんとに知り合いじゃないの?」

「………わたしの知り合いにあんな強面の男の人はいません」



今日は彼は、バラの花束を抱えていた。

ファーストエンカウンター

「わたし、今日も裏門から帰るね」

「あ、こっち見た」

「じゃっ!」



暑さを肌で感じられるようになったこの頃、日焼け対策をしつつ肌を露出せざるをえない炎天下に不条理を感じる女子高生の一人としてわたしは存在している。

そんな辛い環境の中に存在しているということもできるが、そういった思いをしている子が全国にどれだけいるかを考えれば、わたしなんてものはそれだけの存在でもあるのだ。


されど女子高生、たかが女子高生なんですよ、わたし。

それを、どこをどう転がしたら、こんな、日常的には関わりないだろうスーツの人に追い回されなくてはならないのか。



「はあ、はあ…今日も…うまく巻けたかな…っ、はあはあ」



校門の反対に位置する裏門は、自宅とは正反対の方向へ出てしまうけれど、けれど正門にはあの意味のわからない男の人がわたしを待ち構えている。

きっとあの日、初めて会ったあの時のように、言葉を紡ぐのだろう。



『おい、そこの』

『はい?』

『は、』

『は?』

『黙って受け取れ!それから、こ…』

『あの…?…え?ええ?』



わたしの混乱になぜか動揺したような顔を見せて、その男の人はわたしに抱えきれないほどのチューリップの花束を押しつけて去って行ってしまった。

チューリップの花束なんて初めて貰ったなあ…というか、花自体貰ったことなどないし、失礼だけど今時あげる人なんているんだと驚いたものだった。


それからあの人は、雨の日も風の日も、こうして炎天下を過ぎた夕暮れにも正門に姿をあらわすようになった。



「毎日欠かさず…」



わたしに何か用事があるんだろうかと考えたこともあったけれど、花束はあの後家に持って帰って母親にこんなにたくさん!と怒られ弟には誰に貰ったのかと詮索され、挙句わたしが水やりをする羽目になって散々だったのだ。

花に罪はないし、花自体は嫌いじゃないけど…盗聴器でもあるんじゃないかと花びら一枚一枚覗いてしまったりもした。


毎日のように違う花束を持って、何のつもりかわたしへ贈ろうとするあの人。

用事があるなら花なんていらない、必要だとしても毎日だなんてそんな…


そんなわけで、わたしはちょっとの好奇心よりも、得体の知れない不安をとって毎日こうして遠回りをして帰っているのだった。



「こっちの道は街灯も少なくて空き地ばっかりだから、ちょっと怖いんだよね」



あの人が目の前に迫ってくるよりは…怖くないけれど。

背丈があまり無いわたしにしてみれば、大半の男の人は巨人のようなもの。無言で、しかもスーツで、おっきな花束抱えて近寄られようものなら、涙ぐんでしまうのも仕方ないだろう。

そんなわたしに少し困っているような顔を浮かべたことを、ちらりと思い出した。怒った顔かもしれないけれど。


今日の晩御飯は何だろう、ああでも食べる前に明日提出の宿題を仕上げなくちゃ。雨も降るみたいだし…そういえば、台風が近づいてるんだったかな。

あの人は明日も来るんだろうか…強い雨風にもスーツを濡らし、後ろへ流した髪を乱れさせながら…花も、散っちゃうなあ。

薄暗い路地を、そんなとりとめのないことを考えながら歩いていた。



注意力散漫だと、友人に言われることがしばしば。

だからその時も、人の気配になんてちっとも気付けなくて、目の前に立ちはだかられて、わたしはようやく驚いたのだった。



「っ!?」

「騒ぐな!!持っているものを、よこせ!!」

「………っ」



驚きすぎたせいか、わたしの頭の中は、強盗そのものよりもその後のことが流れていた。

女子高生強盗殺人事件、暗い路地裏での犯行、両親が涙ながらに会見し、顔の映らない友人がわたしのことを話す。


ああ、それは…それはとても―――



「いやー!!」

「てめ、騒ぐなと言っただろうが!!」

「伏せろっちゃ!!」

「へ?ふせ…っう、わああっ!」

「…っぐうっ!!」



わたしは、注意力散漫だとよく言われるけど、人を見た目で判断しすぎだよと言われることもある。

眼鏡をかけていれば真面目そう、第三ボタンまで開いていたら怖そう、きつそうな目をしてたら苛められそう…などなど。

被害妄想が強いのかもしれない、自意識過剰でもあるだろう。


そうやって出逢いを逃して、損してるって…きつそうな目をした、けれどとても優しいわたしの友達は、わたしを窘めた。



もっと心を見て、その人の行動を、何を意図するのか、真意を、本心を…見てあげて。と。



「…う、……いたあ…」



出来事は一瞬で。



「ひっ!!」



目の前に、意識を失った男の人が倒れていて、その向こうには苦しげに息をする黒い塊がいて、わたしはそんな光景をぽかんと見ているしかなかった。


目の前に現れたこの倒れている人は強盗で、荷物を奪われそうになっていたわたしの後ろから声がして………あ、そういえば、馬跳びをされた。

背中にずしりとした重みを感じ、それに耐えきれなかった膝が折れて、わたしは無様にすっ転び…けれどその人のおかげでわたしは荷物を奪われずに済んだのだった。


その人が、この人を倒してくれたのだろう。転ぶ音に混じって、痛そうな音も聞こえた気がする。



「だ、大丈夫か…」

「……」

「おい、怪我でもしたのか」

「あ、い、いいいえ!!あ、あの、あの…ありがとうございます!!」



近くに立つ街灯は、電球が切れそうなのかぱちぱちと光っていて、その黒い塊が動く姿を大まかにとらえるのがやっとだった。

声の聞こえ具合から、こっちを見てるのかななんて、そんなことを思えるぐらいで。


心配されている、とハッとして立ち上がろうとするが、いくら足に力を入れても動かないことに気づく。



「あ、あれ」

「どっかぶつけたか…悪い、お前がしゃがまないから跨いだ」

「あ、いや、いやそんな!助けて頂いたのに……あの、ほんとにありがとうございます!!」



立てない私は、土下座のように地に頭をつけて礼を述べた。

今更ながらに恐怖が襲ってきて体ががくがくと震えていたが、泣いている場合ではない。

感謝と恐怖と震えで訳のわからない体は、熱くて冷たくて、動かなくて…


そうこうしているうちに、黒い影は、こちらへ歩みを進めていた。



「腰ぬけたのか」

「あ、あはは…そうみたいです」

「手貸してやる、掴まれ」

「あ、ありがとうござ、い ま…?」



街灯がぱちりと生気を取り戻し、暗い道を、わたしの顔を照らした。

そうして、暗闇から差しのべられたその手の先にいたのは―――



「あ、…なたは」

「…あ、ああ…別に、つけてきたわけじゃないぞ。たまたまこっちが帰り道で…悲鳴が聞こえて…」

「かえり、みち」



わたしが遠回りしていたように、彼も遠回りをしていたのだろうか…


わたしを助け、手を差し伸べてくれたのは、毎日毎日、数えるのも面倒なほど毎日、花を手にスーツを着たあの男の人だった。

他の誰でもない、わたしの知り合いでもなければ通りすがり…まあある意味通りすがりだけれど、わたしが勝手におびえて逃げていた人、その人に助けられたのだ、わたしは。



ああ、本当に…人は見掛けで判断しちゃだめだね。


今更気付いたの?と呆れた友人の顔を浮かべながら、わたしは恐る恐るその手をとった。



「ありがとう、ございます」



ぐいとすごい力で引かれ、わたしは浮くようにして立ち上がる。


わたしの頭の上の方で、いや、とか、その、なんて言葉が呟かれていたのだが、残念なことにわたしには届いていなかった。

当のわたしはというと、すっ転んだ際に手放した鞄を拾うため歩きだしてしまっていた。

掛け替えのないもの、なーんてものは入ってないけれど…よかった。


ほっと息吐いて顔をあげると、その奥に何やら黒い塊を見つけた。



「………あ」



ゆっくり近づいて手に取るとそれは ―今は色は見えないけれど、確か赤かった― バラの花束で…

手に持ち上げて、がさりと音を立てたそれは、二枚三枚と花びらを落とした。



「あ…っ」

「これ…」



音に気付いたその人は、複雑そうな顔をしていた。

わたしは男の人のところまで戻って、この花束…と呟いた。



「それは、その―」

「もしよかったら……これ、わたしにくれませんか?」

「え…?」

「あの……っい、今まで、ごめんなさいっ…わたし、怖い人だと…思ってて…毎日逃げてて…」



でも、助けれくれたから…きっと、怖い人じゃない、のかもしれない。

この身長は、今もちょっとだけ、怖いけれど。でも…



「きっと…高いと思うのに…お花も…っ…わたし…っ…」

「そんな、ことは…」



つんと香るバラの花束に顔を俯けて、零れる涙を抑えきれずわたしはしゃくりあげる。

今になって、怖さがじわじわと涙腺を緩めてきたのかもしれない。



男の人はオロオロした風に、いや、とか、あの、とか、その…とかまたも意味のない言葉を繰り返していて。

わたしはその慌てた風が、段々と面白くなってきて、泣きながら笑ってしまった。



「わたし、って言います」

「あ…お、俺は…き、軋識」

「わたしに、何か用なんですよね、軋識さん」

「〜〜〜〜っ」



初めて目に入れたその人の顔は、ちっとも怖いことなんかなくて、わたしは背丈とそのスーツと、それからきっと花束という慣れないものに怯えていたのだと思い知る。

こんなにも瞳の色のきれいな、男の人は、見たことがなかった。


男の人、軋識と名乗ったその人は、顔を朱色に染め、目を背けた。



「お、送っていく」

「え、でも…」

「また、何かあったら…困るだろ」

「…あ、ありがとう、ございます」



なんだ、なんだろう、怖くない。どころか、ううん、何だろう…何か不思議な感じがする。

鞄と花束を抱えたわたしと、そのわたしの頭、恐らく二つ分高いであろう軋識さんと、並んで帰るほの暗い帰り道は、今のわたしの心情のように不思議な感覚で。

むず痒いような笑ってしまいたいような、息苦しいような、そんな気持ちだった。



「あ、ここで」

「…………」

「あの…?」

「あ、いや…」



歩く道のりは長くて、その長さ分だけの沈黙があって、けれど気まずさは少しずつ消えていっていて、家の前ではもう笑顔もひきつらなくなっていた。



「軋識さん、わたしへの用事、言葉がまとまったら教えて下さいね」

「………お前は」

「はい?」

「いや…次からあの道は通るな」

「あ、はい…あっ、あの!」



背中を向けてしまった軋識さんに声をかけると、軋識さんは律義にこちらへ体を向けた。



「お花、ありがとうございます!…今までのも…あの…」

「いや、…………――っ早く入れっちゃ!」

「………え?」

「っ!!」



気まずさに耐えかねたように発せられた軋識さんの言葉は、どこかおかしくて。

あれ、でもこの違和感は、さっきも……



「……あれ、軋識さん!?」



意識を戻してみたら、彼の姿はどこにも見えなくなっていた。

これが、わたしと軋識さんのファーストエンカウンターだった。