呼び方が、「あんた」から「舞織」に変わったのはいつだろう。


わたしを見る目が、距離を置いた冷たいものから、ほんの少しだけ優しいものに変わったのは、


気のせいじゃ…

無いですよね…?

泣かないでハニー

「好きです」



言い終えて、軽い呼吸困難を覚えて、詰まりながら何とか息を吸い込み、吐き出した。


たった四文字に、これだけの力を使うだなんて…

騒がしく行動を開始しているその体とは裏腹に、脳の一部はぼんやりと能天気な事を考えていた。


と、またしても脳が呼吸の仕方を忘れてしまったらしく、舞織は息詰まりに苦しんだ。



ただでさえ、いっぱいいっぱいなのに…



バクバクと跳ねる心臓、熱くて熱くて堪らない頬、恐怖にガクガクと竦む足、寒くも無いのにぶるぶると震える体

声は上擦って、たった四文字、されど四文字、言えたかどうか言った瞬間から不安になった。



こんな不安定な状態は、生まれて初めての事だった。

冷静な一部、ガチガチの九部、今にも絶叫「やっぱり何でも無いです」等を叫び出してしまいそうだった。


けれど、倒れそうになる体を、失いそうになる意識を、グッと拳を握り唇を噛み絞める事で堪え、

絶対と決めていた、向かいの少年に視線を注いだ。


自分の気持ちに嘘は無いから、目だけは絶対に逸らさない。

そう決めていたから。


例え、どんな答えが返ってきたとしても…



「あー…」



向かいの少年、人識は舞織の視線から逃れるように目を泳がせた。


出た言葉のその曖昧な事、途端逃げ出したくなる気持ちを何とか踏ん張って、舞織は続きの言葉を待った。


長い長い沈黙。



「………はぁ」



人識が一つ、溜息を吐く。


緊張の糸が、切れそうになる。


泣いてしまいたい。

どうしてそんな顔をするのか、これから何を言われるのか、

先を先を想定して、泣きたくなる。


思い過ごしかも知れないのに


ああ、どうしよう

考え出したら


止まらない…



こわい



「何で」



ぶるぶると、震え出す体。


人識はソレに気付かないようだった。


なぜなら彼は俯いていたから。

なぜなら顔を赤くしていたから。


けれど舞織は気付かない。


緊張ではない震えに、恐怖に怯えて、唇を噛み締めていたから。

決して顔を逸らすまいと決めていたところで、向かう相手が顔を背けていては、どうにもならない。



「何で、お前からそういう事、言うかなぁ…」



ぷつん なんて音がして、

おわった、なんて声が、どこからともなく聞こえた。


一体どこで…誰が…


ああ、だめ…視界が歪む。



「―――っ!」



人識の戸惑った声にも耳を貸さずに、舞織はダッと踵を返した。


ここが外だったなら、あるいは彼女に逃げ切れるという可能性が生まれたかも知れない。

だがしかし、ここは生憎、相手、人識の部屋だった。

場所選びを誤った。

それはすぐに舞織を後悔させた。


踵返して、駆け出そう、部屋に篭ってワンワン泣いて、明日笑って会えるように自分を叱ろう。

そんな計画は一瞬で崩れ去っていった。



ゴンンッッッ!!!



という酷い音と共に。



「だっ、大丈夫か!?」



いつ、どこで、だれが、


そんなの、さっき、この部屋に来た時、わたしが、


ドアを閉めたんだ



「―――――――っっっ!!!」



ドアに頭から正面衝突、見るところに寄ればドアに頭突きをかました舞織は、声の出ない痛さに思わず蹲った。


自分の手でぶつけた所に触れて、その痛さに思わず手を離す。

ぺたんと座りこんだ姿勢で、ぎゅうううっ と拳を握り締める。



痛い


痛い…



「いたいよう…」



心が痛い

痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛いいたいいたいいたい



あなたの、そばに

こんなにも、いたい…のに…



「…ま、舞織」

「うえええぇぇぇ」



恥ずかしさも情けなさも後悔も全部全部かなぐり捨てて、舞織は俯いて、声を殺す事も忘れて叫び泣いた。



「ああああああっ」



痛い、痛い、心が痛い、貴方の傍に居たい。


ぼたぼたと床や手に零れる涙は留まるところを知らない。

舞織は拭う事も止める事もせず、ここが痛い とばかりに、両の手を胸の前に置いた。


痛い痛い、と泣き叫ぶ。


人識がすぐ傍にいて、背中を擦っているが、その温もりすら

痛い



『………はぁ』



「痛いよお」



『何で』



「いたい」



『何で、お前からそういう事、言うかなぁ…』



「貴方の傍にいたいよお、ひとしきくん…」



やっぱり勘違いだったんですね

優しい人識くんに、わたしは勘違いして、自惚れてしまったんですね


ごめんね、何て言葉を掛けたら良いのか、分からない、ですよね…


待って、もう少しだけ

待って


そうしたら泣き止むから

そうしたらいつもの私


何でもないです、ごめんなさいっ

って笑って、何事もなかったかのように頑張るから


だから、だから



「…うううぅぇ…」



もう少しだけ、その手をそのままに、甘く優しい夢を私に…



「…舞織」

「ごめんなさいっ、いま、止め、る、から…っ、ごめんなさいごめんなさいっ」

「舞織、いいから」

「ごめんなさいっごめ――」



ああ、甘く優しい夢は、こんなにも酷くて残酷。


重なった唇はこんなにも温かいのに、スウゥと冷えていくわたしの心はまるで、可愛らしくない


嬉しいはずなのに

同情だっても

絶対絶対、隅っこの方で、嬉しいはずなのに



「ひどい…よお…」

「どっちが」

「ひ、ひろしきくんがっ」

「…っ舞織の方が酷いだろうが!」

「うぇっ、どうしてよう」



ぼとぼとと落ちる涙をそのままに、ダンと強い音がしたそちら、隣の人識を見遣る。



ああ、わたしより、酷い顔。



「俺が」

「そうですよ、人識くんが」

「俺が、俺から告白するはずだったのに!」

「そう、人識くんが告白…………………………………………………………………………………え…」

「ははっ、間ァ長過ぎっ」



泣いた烏はもう笑う。

たっぷりと間を置いて目を瞬いたわたしに、人識くんは最高級の笑顔を見せた。



「あと泣き過ぎ」



ふにゅ と柔らかな唇が瞼に触れる。

しょっぱい と眉を顰めるその様に、更に涙が溢れた。



「わたしは」



ねぇ…



「わたしは」



これは、



「傍にいて、いいの?」



まだ、優しく甘い、夢の続きですか?



「…ああ」



もう一度唇に触れて「泣くなよ」だなんて



「…ふぇ…」



一生、褪めない夢であれ




泉様へ、相互記念小説でございます。
遅くなってしまった上、ラブのラの字も無いような人舞を申し訳ないです。
ちなみに私は素敵僕友を頂きました。うへへ。

泉さん、遅くなりまして申し訳ないです。
頂いた僕友には到底及ばない人舞ですが、宜しかったら貰ってやって下さいませー。
これからも宜しくお願い致しまっすv