「けほっ」

甘煮

ブラウン管を通して聞こえる笑いに混じって聞こえてきたのは、擦れたような咳。



「伊織ちゃん、風邪でも引いちゃった?」



目敏く気付いた双識は手にしていた蜜柑をテーブルに置いて手を拭いた。

向かいに座って雑誌を読んでいた舞織の額に手を伸ばす。


が、熱は無いらしく、双識の温かい手はすぐに離れていった。



「熱は無いみたいだけど…体がだるいとか、ある?」

「…うーん、特には無いですよ。寒気だとかそういうのも全然」



お兄ちゃんは心配性ですねえ と舞織は暢気そうに呟いて、双識が剥いた蜜柑を口に放った。

脇でテレビを見ていた軋識が舞織を一瞥して口を開く。



「そんな寒そうな格好してるからだ、もう少し温かい格好したらどうだっちゃ」

「そうだね、伊織ちゃん。今の時期は気温も不安定だし風呂上がりなんだし」

「でもまだ熱いんですよう」

「うーん、じゃあ上に上がったらちゃんと着てね」

「はぁい」



と、そんな会話が繰り広げられている最中、玄関が開く音がした。

舞織は、バッ 立ち上がり、玄関に繋がる廊下へと首を出した。



「お帰りなさい人識くん!」



舞織の予想通り、玄関には履くのも脱ぐのも難しそうな靴を懸命に脱いでいる人識の姿があった。

銀とも白とも区別の付かない眩しい色をした髪の隙間から、人識が優しい目を向ける。


最後に会った時よりも長くなっている前髪からチラと垣間見える瞳が何だかとても色っぽい。

髪の長さ一つでこうも雰囲気が変わってしまうのかと舞織は早くなる心臓を押さえた。


と、人識がこちらへ手招くので、舞織は何かお土産があるのかと寒い廊下を足早に玄関へと駆けた。



「何ですかー?」



未だ脱げない靴を悪戦苦闘しているのか、人識は口を開かない。

舞織は肩を竦めて、とりあえず口を開いた。



「三ヶ月ぶりですね」

「……」

「今回はどこ行ってきたんでしたっけ?」

「……」

「そういえば今晩は軋識さんお手製のハンバーグだったんですよー」

「……」

「……」



応としない会話はちょっぴり空しいものがある。

舞織は小さく息を吐いて、それから特にする事も無く人識の旋毛を、ジッ と眺めていた。


そう言えば人識の荷物はいつもポケットに納まる程度のものだった事を思い出す。

お土産じゃないのかと肩を落としたところで、人識の靴が、ごと と重そうな音を立てて脱げた。

やっと相手してもらえると喜んだのもつかの間、人識が舞織に向けて素早く手を伸ばしてきた。



「んっ う…!?」



グ と引き寄せられて、ひやり と冷たい何かが唇に触れる。

それが人識の唇だと気付くものの、冷たさと息苦しさに離して欲しいという訴え空しく、人識はまるで無視して何度も口付ける。


息苦しさに酸素を求めて開いた口に、すかさず人識が舌を差し込んだ。

逃げ惑う舌を絡ませて、その温かさと甘さを存分に堪能する。



「一番最初にしようと思ってたんだ」



互いの間を引く銀色の糸が、ぷつ と切れてから、漸く人識が口を開いた。

ニッ と悪戯っぽく笑う人識に、舞織はそれどころではないと必死で息を整える。



「…は、ぁ…はぁ…び、ビックリしましたよう」

「変わってないな、あんた」

「え?」

「匂いも口ン中も、甘い」

「――っつ、つめた…っ!お風呂入ってからにして下さいーっ」



甘えるように抱き締めてこようとする人識に、舞織は思い切り腕を伸ばして拒否を示す。

服から肌から伝わる冷気に、舞織の腕や足は鳥肌が立っていた。



「そうだな、まずは風呂だ。あ、一緒に入るか?」

「もう入っちゃいましたよ」

「あっそ、じゃ後でな」



そうしてまた舞織の腕を引いて、ちゅう と唇を吸った。



「……人識くんだって相変わらずです」

「おう」



人の話なんてまるで聞いていない。

恥ずかしそうに目を伏せる舞織の頭を二度、三度、ぽんぽんと叩いて、人識は風呂場へと消えていった。


* * *


それから一時間後。



風呂場の温かさと打って変わって寒々しい廊下に、人識は小さく身震いした。

二階へ上がって、ドアの前、ただ一度、コン とノックをしてからドアを開けた。



「舞織ー、起きてっかー?……っと、積極的だな」



開けたと同時に、トス と突っ込んできたその小さな体を受け止めて、人識は苦笑した。



「うふふ、待ってる間にじわじわと実感が沸いてきたんです」

「うん?」

「本当に帰ってきたんだなぁ って。思った途端嬉しくてですね」



うふふ と兄に似た独特の笑い、それから嗅ぎ慣れたその匂いをさせて、舞織は甘えるように顔を埋めた。

と、足元が、ヒヤリ とする事を思い出して、ドアを静かに閉めれば、じわじわと部屋の温かさが戻ってくる。


相変わらず甘い匂いがする部屋だな などと眺めていると、く と裾を引っ張られた。

引かれるままにそちらに身を屈めると、ちゅ と唇が合わさった。


そのまま咥内に招き入れてやれば、甘く舌が絡む。



「んっ、人識く、…」



ぎゅう と首に腕が回されてされる必死な愛撫に、人識は顔が綻ぶのを抑えられない。

人識は、ふ と後ろを確認して、それから口付けたまま舞織を後ろへと押していく。



「ん…?」

「大丈夫」



後ろ向きに歩かされる不安に、人識は大丈夫だと口付ける。

と、足に何かぶつかって、それを舞織が見る間も無く、ぐら と体勢が崩れる。



「わ、あっ」



下はベッド。

それでも一つの不安も無くなるようにと人識は舞織の頭を支えて、ソッ とベッドに下ろした。


もう一度深く、今度は長く口付けてから、漸く離れた。



「やべ、久しぶりだからがっついちゃうかも」

「下に同じです」



面倒臭そうに服を脱ぐ人識の頬に舞織が口付ける。

ゆっくり半身を起こして、瞼に、それから額に、鼻に、と順々に唇を落としていく。



「ここは?」



そう言って人識が唇を指差す。

その手に自身のソレを絡ませて、舞織はゆっくりと口付けた。

と、すぐに離れてしまい、人識が声を掛けようとして



「けほっ、ごほっ」



先程階下でした咳よりも酷い咳が出る。

人識は双識がやったように舞織の額に手を当てながら、眉を顰めた。



「んだよ、風邪かぁ?そんな寒そうなカッコしてっからだろ?」

「それお兄ちゃん達にも言われました」

「そんなえっちなカッコは俺と寝る時だけにして」

「ふふ、ムラムラします?」

「すっげぇする」



戯れるように唇が触れ合う合間、そろり と人識の手が舞織の太股を撫ぜた。

その合間合間、舞織がぽつぽつ と言葉を零す。



「わたしも、ムラムラ……してました」

「ん?、何に?」

「人識くんの、髪に、です」



そう言って、細くて白くて折れてしまいそうなその両手が、人識の髪に触れる。

柔らかく前に垂れる前髪に触れて、舞織がはにかんで笑う。



「凄く格好良くて…ドキドキします」

「ふぅん」



興味なさそうに相槌を打って、そんな事は後でいい と今度は深く深く口付けた。

けれど、舞織はまだ何か言いたげに、口付けを止める。



「ん、明日…」

「あ?」


こっちに集中しろと無理矢理に口付ける。

そんな人識に構わず、舞織は話し続けようとするので、人識はとりあえず口付けを止めた。

こういう場合、無理に事を進めて怒りを買うよりも、満足するまで付き合ってやってそれから始めた方が良いと言う事は経験済みだ。


とりあえず話を聞いてくれるらしい人識に、舞織は嬉しそうに笑んだ。



「明日、学校終わったら電話します」

「うん?」

「お迎えにきて下さい」

「何で?」

「自慢したいんです」



こんな格好良い彼氏がいるんですよう って と舞織が密やかに笑う。

別に良いけど という了承に嬉しそうにする舞織に、人識は、んー と考える。



「じゃあその足で京都にも行こうぜ」

「え?」

「自慢してやるんだ」



理想と現実は違った ってな。

背丈も年齢もさして変わらない、血の繋がりは無いものの世間一般でいう血縁関係にあるんだと。


あいつはどんな顔をするだろうか…

……萌え とか言われたらどうしよう…



「ああ、でも」



けほ と小さく咳き込む舞織の喉に触れる。



「明日は二人でベッドの中かもな」



そう言うと、舞織が楽しそうに笑んだ。




お恐れおこがましいですが、人様への捧げもの人舞です。
う、う、う、受け取って下さい雛子さん〜!お誕生日おめでとうございますお話でございますます!