この家の風呂は中々珍しい作りをしている。

引き戸や突っ掛け形式ではなく、部屋の入り口でもあるかのように、ドアノブが設置されており、それを掴み回して、押し引きするものとなっていた。

もう見慣れたソレがどうだろう。今ここに存在するのは押そうにも引こうにも取っ手本体が付いていないドアが、壁のように立ちはだかっていた。


上から下まで、見上げ見下ろし、舞織は眉を下げる。



「………どうしよう」

マジで!!?

「………まー、湯船に浸かって考えますか」



さして良い案も思い浮かばず、かと言ってこのまま突っ立っているのもどうだろうか。

汗も冷えてきて肌寒い気もするし、とりあえずと湯船に足を突っ込んだ。



「んん、叫んで呼ぶのは無理ですよねー」



浴槽の縁に腕を預けて濡れた髪を掻き上げ、ドアを見つめながら、ぼんやりと呟いた。


この家には何を隠そうシスコンがいる。


舞織のために、シスコン…双識は、いくら費やしたのか風呂場とトイレの壁を二重、三重と厚くし、防音完備の家へとリフォームしたのだった。

ドアを叩こうが喚こうが聞こえるはずも無く。

叫ぼうものなら風呂場に反響し眩暈を起こすのが関の山だろう。



「…ドア、壊したら怒られますよねー」



舞織にはガラス破損の前科があった。

双識が怒らなくとも軋識が怒るだろうソレを想像して、舞織はダメだと首を振った。

あの人は自分よりも繊細かつデリケート、ドアに穴が空いた風呂などには絶対入ろうとはしないだろう。



「うーん…八方塞というヤツですね」



まだ暫くの間は大丈夫だろう。

けれど30分後はどうなっているか分からない。



「風呂場に閉じ込められて脱水症状により女子高校生が死亡、だなんて傑作ですよう」



ふふ と力無く笑う舞織の口元を、ツゥー…と汗が伝う。



「…え…?」



まだ入って数十分しか経っていない。

なのに次から次へと流れ出るこの汗は一体どういう事だ。


人識は熱風呂が好きだった。

それこそ熱湯に近い、40度を越えるお湯に短時間浸かるのが彼流だった。


そんな事など知る由も無く、舞織は更に熱めてしまった。


換気扇を止めた事も、窓を閉め切ってしまった事も、先程の運動で体力が消耗していた事も完全に失念していた。



「……ぁ…」



ただただ頭痛に似たくらくらする感覚を最後に、舞織は意識を手放した。





「ッ兄貴!今誰か風呂入ってる!?」

「ああ、お帰り人識、どこ行ってたの?」

「舞織がもうかれこれ1時間弱入ってるっちゃ」



荒々しい音を立てて帰って来た人識にさして驚いた風も無く、双識はテレビを、軋識は3本目のビールに手を付けていた。

人識は、遅かったかと舌を打ち、目尻に染みた汗を乱暴に拭う。



「俺も入りたいっちゃけど、今入ったら殺されるし…」

「アス、それで最後だからね」

「分かってるっちゃ」



上機嫌に頬を染めて笑う軋識はこの際いないものとして。

人識は、手にしていた袋を床へと落とした。ゴトリと大きな音に、二人が目線をそちらへ向ける。



「兄貴!団扇と冷えたタオル、用意しといて!それから大将、そこ退いとけ!!」

「どうしたんだい?そんな血相変えて」

「良いから早くやってくれ!説明は後でする!」



そう言い残して人識は風呂場へと走った。

後ろから、早まるなっちゃ〜 という声が聞こえたが、それは無視。



どんどんっ

浴室へ繋がるドアを、なるべく大きな音で叩く。

これで舞織がまだ元気で、それこそ風呂に入る前だとしたらただの変態扱いで終るだろう、声を上げて確認を取る。



「舞織、俺だ」



それからハタと、防音の事を思い出し、そろりとドアを開ける。

誰もいない。そのうえ半開きにしておいたはずのドアが閉まっている事に眉を顰め、壁同様のドアをノックした。

数回繰り返すが、返事は返って来ない。



「入るぞ?」



嫌な予感がして、いても立ってもいられずに、言うと同時にドアを蹴り上げる。

瞬間、掛けていたサングラスが一気に曇った。


むあ…っ という湿り気を帯びた熱気が人識を包む。



「何だよコレ!マジでサウナかよ!おい、舞織!大丈夫かー?」



そして、そこ。

バスタブの中でぐったりとした舞織を見つけた。